信仰と漁業との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 05:55 UTC 版)
曹洞宗は鎌倉時代の道元を開祖とする日本仏教の宗派で、鎌倉仏教、禅宗の一つである。歴史的に曹洞宗においては、釈迦如来を本尊に仰ぎ、正法護持と弁道円成に対する念が強く、羅漢信仰も盛んであった。羅漢信仰の対象は主に十六・十八羅漢で、よく奇瑞をあらわすと信じられていた。やがて時代が下ると共に、日本古来の山神地祇、鬼、動物等の霊験、あるいは仏法護持、守護、参学といった信仰が拡大されていった。信仰の担い手は専ら僧俗及び居士大姉といった特定信者であった。社会体制的に不安定な中世においては、僧宝中心的な十六羅漢や十八羅漢信仰が行われていた。 さらに時代が進んで江戸時代中期以後になると、仏教への民衆参加という要素が加わり、五百羅漢信仰が盛んとなった。曹洞宗の本質が、悟りを開いた人・目覚めた人である羅漢に倣って、求道者各自が悟りを開くことであったのに対し、江戸中期以降のそれは「亡き人に会える」という民俗的信仰や死者追慕の願望、吉凶を占うという伝承、厄災からの救済など、極めて俗世的で、合理的な信仰となった。これは、檀家制度によって宗教制度が体制的にも整備され、僧宝中心が後退し、庶民の哀歓に応えるように仏教の本質が変化したとも言える。いずれにせよ、羅漢信仰は一般的なものとなり、各地に羅漢像が建立されることが増えるきっかけとなった。 吹浦は元来、月光川河口に位置する羽州浜街道の宿駅であるだけでなく、大物忌神社の門前町として栄え、天然の良港であったため漁村としての性質も併せ持つ複合的な生業で構成されていた。1898年 (明治31年) の「山形県漁業志」によれば、漁獲高の第一位は鮭で、ついで、鯛、牡蠣、カナガシラの順であった。1955年 (昭和30年) 頃から本州における鮭の稚魚放流に対して国や県の買い上げ補助事業が始まり、孵化場の統合、拡大が進んだ。山形県では1966年 (昭和41年) から稚魚に餌を与えて十分に成長してから川に放つ「餌付け放流」が本格化した。これら孵化・放流技術の改良もあいまって、月光川水系の水産資源が増加し、山形県の放流量は年間800万尾となって岩手県に次ぐ日本海側随一の鮭放流量となった。1975年 (昭和50年) 、1977年 (昭和52年) には採卵放流数一億尾を超え、1975~1980年に鮭漁の最盛期を迎えた。定置網漁の建網は月光川河口付近を避けて設けられていたが、十六羅漢沖が最も良い漁場であった。吹浦漁港では豊漁が続き、月光川河口の吹浦海面定置網場では鮭が千本水揚げされる度に千本供養塔婆を建立するようになり、最盛期には20本の塔婆が立つなど、塔婆が林立したという。やがて、千本、三千本、七千本など、漁獲高に応じて塔婆を大きくするようになった。現在でも吹浦の十六羅漢の上の丘に朽ちた塔婆が1本残っているが、七千本塔婆の名残ではないかといわれている。鮭漁の拡大に伴って、鮭の漁期が終わる11月中旬に海禅寺(曹洞宗)の僧侶を呼んで千本供養を行うようになった。千本供養は漁場を望む十六羅漢上の丘に塔婆を立て、終わると宴会を開いた。人々は羽織袴の正装で臨んだという。千本供養の謂れは、鮭千本が人一人と同じとして供養するという考え方に基づいている。
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