保護成功の後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 22:21 UTC 版)
カモの保護を受け、大方の世間の反応は「よかった」「ほっとした」といったものだった。上野動物園へも全国の動物ファンから「よかった」「ありがとう」と、ねぎらいの電話が相次いだ。中には涙ながらに礼を述べる声、万歳を連呼する声もあり、その喜びようには職員たちのほうが驚くほどであった。当時の東京都知事である鈴木俊一は、2月12日午後の定例会見で矢ガモ救出に触れ、その生命力を称えて「カモ界の英雄だ」と語り、「迷言」と報じられた。ある評論家は、騒動中にはテレビで「動物園は矢ガモ救出に不熱心だ」と動物園を批判していたものの、保護成功後は一転、「さすが動物園は動物のプロ集団」とコメントした。 ジャーナリストの黒田清は、動物愛護の面から以下のように語った。 残酷なようだが、矢に射抜かれたカモが死体となって見つかっていたのなら、そこまでの話だったろう。でも、矢を背負ったまま毎日生きているから皆騒いだ。ある意味でニュースの本質を見せた騒動でもあった。矢を背負った30センチほどのカモが懸命に生きる姿は非常につらく見えたが、それは人間の残酷さをわれわれに見せつける“大事なつらさ”でもあった。動物愛護の機運がにわかに高まったといわれても、関心を持たないよりは持ってくれたほうがいい。 — 「石神井川の矢ガモ 発見から21日ぶりに無事保護」、日刊スポーツ 1993, p. 21より引用 漫画家の岩本久則も「不謹慎ではあるが、矢を背負ったカモというのは絵になる。野生動物保護のキャンペーンを背中に背負った象徴のようで、もう少しあのままでいてほしいような気もした」、デーブ・スペクターも「動物を必要なく殺すのはいつも人間だ、ということを教えてくれたように思う」と語っている。 しかし中には、上野動物園宛てにカモの餌として高価な胚芽パンを差し入れるなど、過剰な反響もあった。挙句には、カモが再び矢で射られることを恐れるあまり、「カモを野生に戻さないでほしい。餌代は自分がずっと負担する」といって、現金を郵送する者もいた。動物園側は「好意はわかりますが、人間と同じものを動物も好んで食べると信じていたり、過保護にするのが動物のためだと思い込んでいたりで、勘違いしている人が本当に多い」と語った。 上野動物園へは矢の摘出成功以来、負傷したハトなどの野鳥の持ち込みが急増し、その数は2月23日までに13羽に達した。飼育係は「手術時間が六分と報道されたから上野の動物病院は優秀だと思ったのでしょう。上野周辺だけでなく、品川区、大田区などからも連れてきます。傷ついた動物を放置しているよりはいいのですが、一時的なことになるのでは」と懸念した。 また、このカモが救われたことを人々が喜ぶ一方、その感情がほかの鳥や動物たちに向いていないとする批判的な意見も見られる。 マスコミは、連日にわたるセンセーショナルな報道により、カモの背に刺さった矢を何としても抜いて欲しい、という国民的感情を形成するのには成功した。しかし、その高まった世論のエネルギーを、狩猟や深刻な環境問題にまで広げ、真の問題解決を探す方向にまで深めてはいない。矢は抜け、課題が残されている。 — 唐沢孝一「『矢ガモ騒動』の教訓」、唐沢 1994, p. 44より引用 確かに矢ガモはかわいそうだ。でも、食べられちゃうカモもいる。話を広げれば、収拾がつかなくなるかもしれないが、いずれも実にきちんとした問題になる。もっとも残念ながら、今回の騒動もそこまで行かずにオシマイなんでしょうがね。 — 塩田丸男、「カッコよすぎる『生命の大切さ』」、前田 1993, p. 161より引用 もし、それが見るに堪えなくて残酷なら、雨にうたれて、ろくすっぽ食うものがなくウロついている犬、猫はどうする。犬、猫は下手をすると、保健所に連れていかれ、それこそ犬、猫のように殺される。 — 福士隆三「“矢ガモ”騒動を嗤う」、福士 1993, p. 56より引用 同様の批判的な意見として、前述の岩本久則も「矢ガモに向けるくらいの注目を、開発で湿原が減ったりして何十万、何百万の野鳥たちの生きる場が奪われていくことにも向けてもらいたい」と語っており、前述のポール・ボネは、友人のヨーロッパ系新聞記者に「1羽のカモの安否を気づかう国民と、商業捕鯨の復活を願う国民が、同一の国民とはとても信じ難い気がするね」と言われたという。ほかにも「このカモと狩猟の的になるカモは同じなのに、このカモばかりが同情され、狩猟で狩られるカモがなぜ同情されないのか」「普段からカモを食材とする人間が、自分を優しい人間と肯定したいがために、このカモの報道に飛びついていた」「虐待などで悲惨な境遇にある動物たちが多い中、人間たちがそれを見捨てている自分たちを偽善で肯定する格好の材料こそが、このこのカモだった」「カモの救出は人間たちの自己満足に過ぎない」といった意見もある。 1993年の矢ガモは確かに動物愛護の精神が中心にあったが、そのような想いもブームのように一瞬のみ高まり、すぐに萎んでしまうに過ぎない、との意見もある。事実、2015年(平成27年)に兵庫県伊丹市では、吹き矢の刺さった4羽のカモが相次いで発見されており、見方によっては1993年の事件よりも悪質といえるが、1993年の矢ガモ騒動のときほど、社会の関心を得るには至らずに終わった。
※この「保護成功の後」の解説は、「矢ガモ」の解説の一部です。
「保護成功の後」を含む「矢ガモ」の記事については、「矢ガモ」の概要を参照ください。
- 保護成功の後のページへのリンク