保護愛育的体育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
保護愛育的体育とは、個人の体質・年齢・境遇に応じて、食物・衣服・睡眠・医薬を調整し、自然の欲求を満たし、衛生的にいたわることを重視した体育である。基礎的・一般的な体育は保護愛育的体育を旨とし、一般人や子供には保護愛育的体育を施すことが重要であるとトクヨは強調した。こうした思想に至ったのは、当時の日本では幼児や青年の早死に、婦人や一般人の病弱が社会問題化していたという背景がある。国も体育研究所を設立するに至ったが、強い軍隊を作ることが主目的であり、一般国民の健康と体位向上が必要だとトクヨは考えたのであった。 保護愛育的体育は生徒本位で行うべき体育であり、当時の日本の体育は教師本位・運動場本位・器械本位であると批判した。教師本位の例として、体操教師の不足を理由に複数学級を統合して多人数で授業を行うこと、運動場本位の例として、グラウンドの砂や石、寒暑を考慮せずに授業を行うこと、器械本位の例として、器械が不足するからと言って行うべき体操を省略し、数人だけ器械体操を行わせ他の生徒は見学しているだけにすることをトクヨは挙げた。生徒本位の授業を行うには、体操教師が絶えず練習して立派な体操を見せることと、生徒の中から示範役を選んで自らの力で身に付ける努力をさせると同時に、教師の型にはめないことが大事であると主張した。教師が厳しい号令をかけ続けていると感覚がマヒし、命令がないと動けない生徒になってしまうので注意すべきと説いた。指導する順序に関しては、『学校体操教授要目』に記載された体操を固定した順序で実施する単式教程が一般的だったが、トクヨは生徒が関心を示し集中して取り組めるよう、同じ種類の体操を複数の異なった方法で繰り返し行う複式教程を採用し、強弱・難易・緩急のバランスを考えることが「正しい教程」だとした。1回の授業で体操だけしか行わない授業も一般的で、それだけでは時間が余るため1つの体操を行うたびに「休め」をはさんで場をつないでいた。トクヨはこれを「ほかの教科で2、3分毎にヤスメをしますか?」と批判し、競技・遊戯を取り入れるべきだと述べた。 また学校体育とは勉学で弱らせた血液循環や呼吸機能を正常に戻し、姿勢を矯正するものであると述べた。姿勢の矯正は、留学前から胸を張る動作を中心に実践していたが、これはスウェーデン体操のうちの教育体操の領域に相当するものであり、医療体操の視点は欠如していた。そこでトクヨは「正しくない姿勢」が教育体操によって矯正のできるものと、医療体操で改善すべきもののどちらか見極める必要性を説いた。 年齢と行うべき体操の対応について、トクヨは下表のように主張している。下表の「鍛錬」とは、保護愛育的体育に上乗せして行うものであり、細心の注意と合理的な条件を持って行うべきと説いた。 年齢行うべき体操幼年・児童 保護愛育的体操、鍛錬はごく初歩 14・15歳頃〜 一般的・鍛練的体操 20歳前後 思い切った鍛練 24・25歳頃〜 思い切った鍛練を徐々に緩める 成人 保護的体操・趣味的体操 老人 自愛的体操 トクヨの保護愛育の対象は、老若男女を問わず、民族や国籍をも超えたものであった。トクヨは二階堂体操塾で、当時日本の統治下にあった地域の出身者を日本人と平等に、というよりもむしろより積極的に愛護した。 保護愛育的体育とは言いながらも、トクヨの指導する体操は依然として厳しいものであった。トクヨの授業を受けた戸倉ハルによると、特に徒手体操が厳しく、「半前半上屈臂」など独特の名前を付けた体操をさせたという。
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