中世の三河戸田氏とは? わかりやすく解説

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中世の三河戸田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:22 UTC 版)

戸田氏」の記事における「中世の三河戸田氏」の解説

尾張国海部郡戸田荘を支配したとみられ、鎌倉時代建保年間には、戸田十郎信義御家人として同地地頭となった旨が当時の記録から確認できる南北朝時代戸田弾正忠宗忠という武将が、南朝属して信濃宗良親王供奉し、信濃転戦したという記録残されている。その後、宗忠は族党率いて信濃国大河内城出て尾張国海部郡至ったとあり、旧領帰参したもの考えられる室町時代幕府政所執事伊勢氏被官であった豪族として確認されている。ただしこれらの戸田姓の人物後代戸田氏系譜関係は不明である。 戸田宗光登場 確証ある三河戸田氏としてみえるのは、戸田宗光(全久)からである。彼は文安年間1444年 - 1449年)、代官務め碧海郡上野愛知県豊田市)に上野古城築城したといわれる[要出典]。文明7年1475年)には戸田宗光が、三河国渥美郡大津村大津城)に入った。さらに、文明11年1479年)には一色氏一族である一色政照追って田原入っている。のちに政照の養子となる。応仁の乱の折には松平氏(後の徳川氏とともに東軍味方して勢力広げ一族支配基盤確立していった。 応永年間には田原城をはじめ、上野城朝倉川南岸二連木城などを築城するなど渥美郡での勢力基盤固めていった。室町時代通して三河国守護足利氏一門である一色氏細川氏務めてきたが、守護支配力弱体化していく。その一方戦国時代初期には、独自路線歩む渥美戸田氏今川氏との協調路線歩む宝飯郡牧野氏対抗する今橋城争奪戦代表される両氏による度重なる争い繰り広げられると、これに西三河雄・松平氏が絡むという、三つ巴拮抗状態に陥っていく。やがて、同国における松平氏台頭顕著になるにつれ、戸田憲光は駿河守護の今川氏との関係凍結し一時的に松平氏配下となるなど戸田氏は、今川氏尾張織田氏松平氏勢力の中で従属先を変転していった。 戸田康光滅亡徳川氏家臣戸田氏運命大きく揺れたのは、松平氏勢力弱まった戦国中期である。戸田氏牧野氏抑え三河統一しかけていた松平清康急死により、同氏隆盛には陰り見えはじめていた。清康の跡を継いでいた松平広忠織田氏圧迫を受け、嫡男竹千代(後の徳川家康)を今川氏人質に出すことを条件後援申し入れていた。この時、竹千代今川領・駿河国までの護衛命じられていたのが戸田氏である。護衛役を命ぜられた戸田家当主戸田康光は、三河における今川方の有力な戦国武将であった先年今川義元一門戸田宣成滅ぼされたことを深く恨み、同じ末路をたどることを恐れて尾張織田氏に寝返ろうとした。康光は竹千代駿河に送ると見せかけ今川氏仇敵織田氏届けたため、今川氏追討を受け康光・尭光は討ち死にした。ただし、近年の研究では戸田康光の裏切りは事実ではなく松平戸田連合今川織田連合戦い敗れた結果今川氏敗れた戸田康光滅亡し織田氏敗れた松平広忠は命は助けられたものの竹千代織田氏への人質に出すことになったとする説が出されている。分家して仁連木戸田家立てていた康光次男宣光今川方についてその命脈保ち宣光系の嫡流戸田宗家となった今川義元桶狭間の戦いにて織田信長討たれると、宣光の跡を継ぎ仁連木城となっていた重貞は義元嫡男今川氏真から離反し今川から自立した西三河徳川家康従った。彼は東三河国人に対して徳川味方する様に周旋するものの、今川方の吉田城攻略途上にて討死した。重貞には子がなかったため、家康は重貞弟・戸田忠重の子・康長を以って跡目となした。伯父同様、父・戸田忠重徳川家仕え功ある武将であった早く没したため、不憫に思った家康は康長をして所領与え異父妹の婿となし松平姓授けた一方、康光弟 光忠の子戸田忠次三河一向一揆加わっていたが、一揆軍徳川氏争った折は、一揆勢のうちに忠次がかつて徳川家数代わたって縁戚及び主従関係にあったことから内通疑われ、ついに忠次徳川方寝返って一揆鎮圧に功を挙げた。これにより戸田氏仁連木戸田家戸田宗家)、田原戸田家ともども徳川家譜代家臣となった田原戸田家江戸時代老中輩出している。 宗光 ┏━━━┻━━━┓ 憲光 玄蕃玄蕃系) ┣━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┓ 政光 宣成 親光(河和戸田家吉光波上戸田家) 氏一 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━┓ ┃ 康光 忠光忠重 氏輝 ┏━━━╋━━━━━━┳━━━┓ ┃ (七内系)┃ (大垣戸田家) 堯光 宣光 重真 松平広忠継室 忠次 信光 ┏━━━╋━━━┓(重真系) ┃ ┃ 重貞 忠重 重政 尊次 光忠 ┃ (重政系) (田原戸田家) ┃ 康長 信定 (戸田宗家

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