中世の三河戸田氏
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尾張国海部郡の戸田荘を支配したとみられ、鎌倉時代の建保年間には、戸田十郎信義が御家人として同地の地頭となった旨が当時の記録から確認できる。南北朝時代は戸田弾正忠宗忠という武将が、南朝に属して信濃宮宗良親王に供奉し、信濃を転戦したという記録が残されている。その後、宗忠は族党を率いて信濃国大河内城を出て、尾張国海部郡に至ったとあり、旧領に帰参したものと考えられる。室町時代は幕府政所執事の伊勢氏の被官であった豪族として確認されている。ただしこれらの戸田姓の人物と後代の戸田氏の系譜関係は不明である。 戸田宗光の登場 確証ある三河戸田氏としてみえるのは、戸田宗光(全久)からである。彼は文安年間(1444年 - 1449年)、代官を務める碧海郡上野(愛知県豊田市)に上野の古城を築城したといわれる[要出典]。文明7年(1475年)には戸田宗光が、三河国渥美郡大津村(大津城)に入った。さらに、文明11年(1479年)には一色氏の一族である一色政照を追って田原に入っている。のちに政照の養子となる。応仁の乱の折には松平氏(後の徳川氏)とともに東軍に味方して勢力を広げ一族の支配基盤を確立していった。 応永年間には田原城をはじめ、上野城や朝倉川南岸の二連木城などを築城するなど渥美郡での勢力基盤を固めていった。室町時代を通して三河国の守護は足利氏一門である一色氏や細川氏が務めてきたが、守護の支配力は弱体化していく。その一方、戦国時代初期には、独自路線を歩む渥美の戸田氏に今川氏との協調路線を歩む宝飯郡の牧野氏が対抗する。今橋城の争奪戦に代表される、両氏による度重なる争いが繰り広げられると、これに西三河の雄・松平氏が絡むという、三つ巴の拮抗状態に陥っていく。やがて、同国における松平氏の台頭が顕著になるにつれ、戸田憲光は駿河守護の今川氏との関係を凍結し、一時的に松平氏の配下となるなど戸田氏は、今川氏や尾張の織田氏・松平氏の勢力の中で従属先を変転していった。 戸田康光の滅亡と徳川氏家臣化 戸田氏の運命が大きく揺れたのは、松平氏の勢力が弱まった戦国中期である。戸田氏や牧野氏を抑え、三河を統一しかけていた松平清康の急死により、同氏の隆盛には陰りが見えはじめていた。清康の跡を継いでいた松平広忠は織田氏の圧迫を受け、嫡男の竹千代(後の徳川家康)を今川氏の人質に出すことを条件に後援を申し入れていた。この時、竹千代の今川領・駿河国までの護衛を命じられていたのが戸田氏である。護衛役を命ぜられた戸田家の当主・戸田康光は、三河における今川方の有力な戦国武将であったが先年今川義元に一門の戸田宣成が滅ぼされたことを深く恨み、同じ末路をたどることを恐れて尾張の織田氏に寝返ろうとした。康光は竹千代を駿河に送ると見せかけ、今川氏の仇敵・織田氏に届けたため、今川氏の追討を受け康光・尭光は討ち死にした。ただし、近年の研究では戸田康光の裏切りは事実ではなく、松平・戸田連合対今川・織田連合の戦いに敗れた結果、今川氏に敗れた戸田康光は滅亡し、織田氏に敗れた松平広忠は命は助けられたものの竹千代を織田氏への人質に出すことになったとする説が出されている。分家して仁連木戸田家を立てていた康光次男・宣光は今川方についてその命脈を保ち、宣光系の嫡流が戸田宗家となった。 今川義元が桶狭間の戦いにて織田信長に討たれると、宣光の跡を継ぎ仁連木城主となっていた重貞は義元嫡男・今川氏真から離反し、今川から自立した西三河の徳川家康に従った。彼は東三河の国人に対して徳川に味方する様に周旋するものの、今川方の吉田城を攻略の途上にて討死した。重貞には子がなかったため、家康は重貞弟・戸田忠重の子・康長を以って跡目となした。伯父同様、父・戸田忠重も徳川家に仕え功ある武将であったが早くに没したため、不憫に思った家康は康長をして所領を与え、異父妹の婿となし松平姓を授けた。一方、康光弟 光忠の子・戸田忠次は三河一向一揆に加わっていたが、一揆軍が徳川氏と争った折は、一揆勢のうちに忠次がかつて徳川家と数代にわたって縁戚及び主従関係にあったことから内通を疑われ、ついに忠次は徳川方に寝返って一揆鎮圧に功を挙げた。これにより戸田氏は仁連木戸田家(戸田宗家)、田原戸田家ともども徳川家の譜代家臣となった。田原戸田家は江戸時代に老中を輩出している。 宗光 ┏━━━┻━━━┓ 憲光 玄蕃(玄蕃系) ┣━━━━┳━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┓ 政光 宣成 親光(河和戸田家)吉光(波上戸田家) 氏一 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━┓ ┃ 康光 忠政 光忠 政重 氏輝 ┏━━━╋━━━━━━┳━━━┓ ┃ (七内系)┃ (大垣戸田家) 堯光 宣光 重真 松平広忠継室 忠次 信光 ┏━━━╋━━━┓(重真系) ┃ ┃ 重貞 忠重 重政 尊次 光忠 ┃ (重政系) (田原戸田家) ┃ 康長 信定 (戸田宗家)
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