中世の久志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:22 UTC 版)
久志という地名は南北朝時代から見える地名であり、薩摩国加世田別符のうちであった。 延文6年の譲状に「薩摩国加世田別符内 一、山田・秋目・唐坊・久志・内浦」と記載されている。文禄元年(1592年)には豊臣秀吉の命を受けた長崎の商人である原田喜右衛門がドミニコ会の宣教師と共に久志港を出航しフィリピンのマニラに向かったとされる。
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