中世の低地地方とは? わかりやすく解説

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中世の低地地方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「中世の低地地方」の解説

詳細は「ネーデルラント」および「ブルゴーニュ領ネーデルラント」を参照 12世紀までに、低地地方にはホラント伯ゲルデルン公ブラバント公エノー伯ルクセンブルク伯フランドル伯などの世俗領主ユトレヒト司教リエージュ司教といった教会領主分立割拠しあたかも寄木細工様相呈していた。大枠ではフランドル地方のみが西フランクすなわちフランスの領域属し、残る大部分神聖ローマ帝国領域属していたが、11世紀後半ごろからこの地域対す神聖ローマ皇帝勢威減退していき、低地地方徐々に英仏両国影響を受けるようになっていった。 低地地方南部フランドル伯は、フランス神聖ローマ帝国にまたがる広大な領域支配してフランス王との緊張強め、とくに支配下の諸都市イングランドとの交易上の結びつき強く歴代フランドル伯婚姻関係などを通じてイングランド王接近したフランドル伯ボードゥアン9世時代には、ノルマンディイングランド王ジョンから取り上げたフィリップ2世フランドルをうかがう情勢となったボードゥアンの娘ジャンヌ・ド・コンスタンティノープル時代にはイングランド王および神聖ローマ皇帝オットー4世)と同盟してフランス王権挑戦したが、1214年ブーヴィーヌの戦い敗北し以後はしばらくフランスへ服属余儀なくされた。 14世紀中葉低地地方相続婚姻通じてブルゴーニュ家フィリップ2世豪胆公)の支配下入り、この公国のもとで政治的統一進められた。ブルゴーニュ公国はその収入大部分臨時収入であり、低地地方からの収入割合そのうちの約75パーセント占め経常収入においてもブルゴーニュ本領から収入はおよそ5パーセントに過ぎなかった。このように公国財政的に低地地方大きく依存しており、自然と政治重心低地地方移動せざるを得なくなったジャン1世無畏公)は上訴権強化して都市裁判を公の裁判へ従属させるどしたが百年戦争中のフランス宮廷政争に関わったことから、アルマニャック派によって暗殺された。次のフィリップ3世善良公)の治世長きわたったが、当時はすでに聖職者貴族、有力都市からなる身分制議会低地地方でも開かれており、善良公はこれを存続させて新たに課税賛否請願権与え1464年にはブルッヘ低地地方の代表を集めて公位継承審議させた。この議会は「全国議会(エタ・ジェネロー)」の始まりとされている。 1477年シャルル突進公がロレーヌ・アルザス・スイス軍との戦いで戦死すると、フランス国内のブルゴーニュ公領は即座にフランス王権回収され相続者マリー・ド・ブルゴーニュ残されたのは低地地方フランシュ=コンテのみであったマリー同年ハプスブルク家出身神聖ローマ皇帝神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世結婚し、これらの地域一円的にハプスブルク家の支配収まった。 なお、この地方ではデフェンテル(現:オランダ中部)で1370年代にヘールト・フローテ(オランダ語版英語版)やフローレント・ラーデベインス(英語版)らにより、共同生活兄弟会(英語版)が創設されている。これは、ローマ教会頂点とする信仰組織化対立した共同体的結社であり、神秘主義者ヤン・ファン・リュースブルク(英語版オランダ語版)の影響受けて本源的キリスト教の生活を実践しようとするものであり、そこでは司祭一般信者もともに隣人愛共同生活経て観想祈り清貧実践していくことが目的とされた。『キリストのまねび』の著者トマス・ア・ケンピスはその推進者であったが、人文主義者として著名なエラスムスデフェンテル共同生活兄弟附属寄宿学校であった

※この「中世の低地地方」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「中世の低地地方」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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