中世の公家社会における文車の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/03 06:47 UTC 版)
「文車」の記事における「中世の公家社会における文車の発生」の解説
中世の公家社会で重要視されたのは、それぞれの家に代々伝わる公事や儀式の記録が記された日記(家記)などの古文書からなる文書や書籍類からなる蔵書であった。こうした蔵書・文書はそれぞれの邸宅などに設けられていた文庫などに保管されていたが、時代が降り当主の代数を重ねるとともに蔵書・文書は蓄積されていき、こうした文庫に収まりきれない物も出てくるようになった。そのため、車の中に蔵書・文書をしまったまま邸内に着けることでこれを補おうとしたのが文車である。文車の構造については不明な点もあるが、治承の政変で配流された関白松殿基房が没官された財産の中に「文車七両、櫃百余合」が含まれており(『山槐記』治承3年12月5日条)、文車の中に蔵書・文書を納めた櫃が1輛あたり10合前後入っていたと考えられている。中世における譲状の中には文車を中の蔵書・文書ごと相続財産として記述しているものも少なくなかった。
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