中世の厨房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:33 UTC 版)
ほとんどの家庭では、熱を無駄なく使えるよう居住空間の中央にしつらえた炉辺で調理した。そして厨房と食堂がひとつながりになったのが、富裕な家庭もふくめ中世を通じてもっとも普及していた配置である。中世後期にはいると厨房が分離して発達し始める。まず暖炉が広間の壁際に移り、次に厨房専用の建屋ができ、母屋と分離している場合には屋根つきの回廊がつくられた。このようにして煙・臭気・厨房の喧騒は来客の視野から消え、火事の危険も減少した。 貧困層の家庭には高価すぎて手が出ないにせよ、フライパン・鍋・やかん・ワッフル焼型など今日みられる台所用品の基本形はこの時期には存在していた。直火での調理に特化した道具としては、小さなウズラから大きな雄牛まで丸ごと串刺しにできる、大きさも材料も様々な焼き串がある。またポットや大鍋を簡単に火からおろし焦げ付きや空焚きを防ぐことができる、調節可能なフック付のクレーンもあった。調理具は直火にあてるか五徳に置かれ熾火にあてられた。調理補助には各種のナイフ一式・攪拌用スプーン・杓子・おろし金があった。中世のレシピでは加熱調理の前後に食品を細かく刻み、つぶし、濾し、味付けすることが多いので、富裕層の家庭では臼や篩布がよくみられた。これは食品をきめ細かくするほど栄養分を効果的に吸収できると当時の内科医が信じていたことに端を発する。またこれは腕のいい料理人にとり自慢の腕を振るう格好の機会でもあった。舌触りのきめが細かい食品は富と不可分でもあった。たとえば小麦粉は細かく挽くほど高価だったため、庶民のパンは全粒粉から作られ、茶色できめが粗かった。動物の皮をはぎ血抜きをして肉を挽き、その肉にスパイスや調味料を混ぜもとの皮に戻すか、または全く違う動物の形を作り上げるなどもよくあることだった。 高位の貴族や宮廷の厨房スタッフは数百人を数えることもあった。調達執事・パン職人・ウェファー職人・ソース係・食糧庫番・屠殺係・切り分け係・給仕・搾乳婦・食堂執事・その他数え切れないほどの厨房の下働きがいた。平均的な農夫の家庭の燃料は近くの林で集めた薪で間に合うが、このように大規模な厨房では少なくとも数百人分の食事を毎日二度用意するための補給に取り組まねばならない。サヴォイア公爵アメデーオ8世のシェフ長シカールが残した15世紀の料理本『デュ・フェ・ド・キュイジーヌ』(Du fait de cuisine『調理について』)には、2日間の宴席の準備にかかる目安が記されている。シカールによればシェフ長は少なくとも荷車千台分のよく乾いた質のよい薪と大きな倉庫一杯の石炭を用意しておくべきらしい。
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