中世のマー伯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:51 UTC 版)
マー(英語版)は古代アルバ王国(スコットランド王国)の封建家臣領のひとつであり、その支配者は「モーマー(英語版)(mormaer)」と呼ばれた。その領域はアバディーンシャーのドン川(英語版)とディー川(英語版)の間あたりであった。マーのモーマーであったRuadrí(生没年不詳)は、1114年のスコーン修道院(英語版)建立の勅許でラテン語の称号「Comes」を与えられたが、これは伯爵に相当する。 その後、モーガン(英語版)(生年不詳-1183頃)が2代マー伯を継承したことが1152年のダンファームリン修道院(英語版)への勅許状の中で確認できる。その後、その息子のジル・クリスト(英語版)(生年不詳-1203頃)が3代伯となり、ついでその弟ドノホー(英語版)(生年不詳-1244頃)が4代伯となった。4代伯は1237年秋にイングランドとスコットランド間で締結されたヨーク条約(英語版)の立会人を務めている。 その息子の5代伯ウィリアム(英語版)(生年不詳-1276頃)は、スコットランドの摂政会議のメンバーの一人となり、チェンバレン(英語版)も務めた。 その息子の6代伯ドムナル1世(英語版)(生年不詳-1301頃)は、スコーンにおいてスコットランド王アレグザンダー3世(1241-1286)によってナイトに叙され、王女マーガレット(1261-1283)とノルウェー王エイリーク2世(1268-1299)の婚約の立会人を務めた。この2人の娘であるマーガレット(1283-1290)のスコットランド女王即位を支持したが、彼女がスコットランド帰国の道中に崩御するとブルース家の王位請求を支持し、娘のイザベラをロバート・ド・ブルース(1274-1329)(後のスコットランド王ロバート1世)の最初の妻にした(彼女とロバート1世の間の娘マージョリー・ブルース(英語版)はハイ・ステュアートのウォルター・ステュアート(英語版)(1296頃-1327)と結婚し、ステュアート朝の開祖ロバート2世(1316-1390)を産んだ)。 6代伯の息子の7代伯ガルトナイト(英語版)(生年不詳-1305頃)もブルース王家との関係を深めるべく、ロバート1世の姉にあたるクリスティーナ・ブルース(英語版)(1278頃-1356/1357)と結婚した。 その息子の8代伯ドムナル2世(英語版)(生年不詳-1332)は、スコットランド王デイヴィッド2世(1324-1371)の摂政を務め、ダプリン・ミュアの戦い(英語版)において政府軍を率い、イングランド王エドワード3世(1312-1377)の息のかかった王位請求者エドワード・ベイリャル(1283-1367)や反乱貴族たちと戦ったものの、敗死している。 その息子の9代伯トマス(英語版)(生年不詳-1374頃)の代は平穏に終わったが、子供を残さずに死去したことにより最初の女系継承が行われ、妹のマーガレット(英語版)(生年不詳-1391頃)が10代女伯爵を継承した。彼女は初代ダグラス伯爵(英語版)ウィリアム・ダグラス(英語版)(1327頃-1384)の最初の妻だったが、男子を残さずに死去したため、娘であるイザベル・ダグラス(英語版)(1360頃–1408)が11代女伯爵を継承した。彼女はスコットランド王ロバート2世の孫アレグザンダー・ステュアート(英語版)(1375頃–1435)と結婚し、その直後の1404年12月9日の勅許状により夫にマー伯位を譲っている。夫妻に子供はなかったため、12代伯の死後、マー伯領は王室に没収された。
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