中世のユダヤ人学者の著作
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「反ユダヤ主義」の記事における「中世のユダヤ人学者の著作」の解説
中世のユダヤ人学者の著作では、十字軍時代での迫害の記憶から「キリスト」を「救いようのない男」「追放者の息子」「教会」を「不浄の家」「忌み」「十字架」を「悪しき印」などと言い換えた。シュロモ・ベン・シメオンは「罪深きローマ教皇」と呼んだり、迫害者エーミヒョの骨を呪ったりしたあとで「復讐の神よ、姿を現したまえ」、隣人に罵りを7倍にして返せと書き、エリエゼル・ベン・ナタンはキリスト教徒に対して「彼らに悲しみと苦しみをもたらしたまえ。彼らに汝の呪いを差し向けたまえ。彼らを滅ぼしたまえ」と書いた。 ナフマニデス(Nahmanides 1194–1270)は、イザヤ書:2-4の「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」を論拠にして、ユダヤ教は平和の宗教であるのに対して、キリスト教は夥しい血を流させてきて、戦争が主人として君臨していると論じた。 13世紀末、敬虔者イェフダ−(イェフダ−・へ・ハシッド)の『敬虔なる者の書』では、ユダヤ教徒は非ユダヤ教徒と二人きりになってはいけない、キリスト教の音楽で子供を寝かせてはならない、また盗みをすると、ユダヤ人が盗人であり詐欺師であるといわれるから、してはならない、などと教訓が説かれた。 中世のユダヤ人ラビは、イエスを詐欺師とみたり、また敬虔なユダヤ教徒であったが、弟子たちがイエスを聖人として新しい宗教を作ったとみた。このようにユダヤ教においても、キリスト教への憎悪がむき出しになっていた。
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