丞相・李斯の刑死とは? わかりやすく解説

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丞相・李斯の刑死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:23 UTC 版)

胡亥」の記事における「丞相・李斯の刑死」の解説

この頃胡亥は、趙高から「陛下胡亥)は若くして(春秋富み)、皇帝即位されたばかりであるため、(陛下に)過ちがあれば、群臣たちに短所を示すことになります天子が『朕』と称するのは、「きざし」という意味ですから、群臣に声も聞かせないことです」という進言を受ける。胡亥は、常に禁中にいて、趙高諸事決することにする。これから後、公卿たちは朝廷にて胡亥に会うことができることが稀となった趙高李斯が(胡亥禁中入って朝廷顔を見せず趙高とのみ諸事決したことに対して)不満をもらしていると聞き李斯胡亥会って諫めるように勧める李斯同意すると、趙高胡亥への拝謁の場を設けることを約束した趙高は、胡亥酒宴行い婦人といる時に、人を遣わして、「上(胡亥)が暇な時です。上奏してください」と李斯伝えさせた。李斯宮廷の門に来て胡亥との拝謁願ったこのような事が三度繰り返させると、胡亥怒って言った。「私はいつも暇な日が多いのに、丞相李斯)はその時に来ない。私がくつろいでいる時に丞相はやってきて奏上してくる。丞相は私を若いと思っているのか? それとも、軽く見ているのか?」。趙高答えた。「用心してください李斯は王になろうと望んでいるのです。李斯と(李斯息子の)三川郡守の李由は、(李斯故郷近くに住む)陳勝たちと通謀しています。李斯宮廷の外にいて、その権力陛下胡亥より大きいのです」。胡亥同意して李斯取り調べようと望んだが、罪状はっきりしないことを恐れ、人を派遣して李由盗賊通謀している罪状について調査させた。李斯また、このことを聞き知った胡亥甘泉離宮にいて、技比べ芝居曲芸を観て楽しんでいた時、謁見できなかった李斯は、趙高の非を上書した。「趙高陛下胡亥)と権力を操ることは異なりません。趙高には野望謀反の志があります。私は、趙高変事起こすことを恐れています」。胡亥答えた。「どうしたのか? 趙高は元々、宦人 であったが、安心できる時も好き勝手に振る舞わないし、危険な時も心を変えたりしない。行い正しくして、善につとめて、今に至ったのだ。忠義によって昇進し信義によって今の地位にいるのだ。朕(胡亥)は、趙高すぐれた人物思っている。それなのに、君は趙高疑っている。どうしてなのか? 朕は若くして、先人(父である始皇帝)を失い識見もなく、民を統治することに慣れていない。それなのに、君もまた老いている。朕が(秦の)天下絶やすことを恐れている。趙君(趙高)に政治預けなければ、誰に任せればいいのか? それに、趙高人柄清廉忍耐力があり、下々人情通じ、朕の意図かなっている。君は彼を疑ってはいけない」。李斯言った。「そうではありません。趙高は元々、賤しい出身であり、道理知らず欲望飽くことは無く利益求めて止みません。その勢い主君胡亥)に次ぎ、その欲望どこまでも求めていくでしょう。ですから、私が危険であると見なしているのです」。 胡亥は、元々から趙高信頼しており、李斯趙高を殺すことを恐れた。そこで、ひそかに趙高にこのことを告げた趙高は、「丞相李斯)が心配としているのは、この趙高だけです。私が死ねば丞相は秦を乗っ取るでしょうと言った胡亥は、「李斯郎中令趙高)に引き渡せ」と命じた趙高李斯取り調べとりかかった同年7月田儋従弟である田栄が守る東阿攻めていた章邯の軍が項梁の軍によって打ち破られる同年8月三川郡守である李由雍丘攻めて項梁配下である項羽と劉邦の軍と戦い戦死する同年9月胡亥は、秦全軍出して章邯の兵を増援した。章邯定陶において、項梁打ち破り戦死させた。 この頃反乱軍増大していく一方で関中にいる兵士動員して東方群盗攻撃することは止むことはなかった。そこで、右丞相馮去疾左丞相李斯将軍馮劫胡亥諫めた。「関東群盗あちこち決起し秦軍動員して討伐して大勢討ち取りましたが、群盗多く決起は止むことはありません。これは、兵役労役苦しみ賦税大きいからです。しばらく、阿房宮工事中止して四方兵役輸送労役減らしてください」。 胡亥は「『(古代聖人である)尭や舜の生活が質素であり、苦役行った天子貴いのは、意のままふるまい欲望極めつくして、法を厳しくすれば、民は罪を犯さず天下制御することができる。天子であるにも関わらず質素な生活苦役行い、民に示した舜や禹は手本にすることはできない』と韓非子言っている」と反論した上、「朕(胡亥)は帝位つきながら、その実がない。私は(皇帝天子の)名にふさわしい存在となることを望んでいる。君たち先帝始皇帝)の功業端緒についたことを見ていたであろう。朕が即位して2年の間、群盗決起し君たちはこれを治めることができなかった。また、先帝行おうとしていた事業阿房宮工事など)を止めさせよう望んでいる。先帝報いることもできず、さらに朕にも忠義と力を尽くしていない。どうして、その地位にいることができるのか?」と言って馮去疾李斯馮劫を獄に下して余罪調べさせた。馮去疾馮劫自殺した李斯禁錮させられた。 胡亥は、趙高に、李斯罪状糾明して裁判することを命じ李由謀反にかかる罪状について、糾問させた。李斯宗族賓客全て捕らえられた。胡亥使者派遣して李斯罪状調べさせたところ、李斯趙高配下による拷問に耐えられず、罪状認めてしまった。胡亥は、判決文の上奏を見て喜んで言った。「趙君(趙高)がいなければ丞相李斯)にあざむかれるところであった」。胡亥取り調べようとしていた三川郡守の李由は、使者着いた時には項梁配下であった項羽と劉邦戦い戦死した後であった。趙高李斯謀反にかかる供述でっちあげた李斯五刑加え咸陽市場腰斬するように判決が行われた。李斯三族皆殺しとなった同年9月章邯楚軍名将周文陳勝項梁ら)がすでに死んだため、黄河渡って北上して趙王である趙歇らの籠る鉅鹿包囲したこの頃王離王翦の子王賁の子)に命じて、趙を討伐させる王離趙歇張耳らの籠る鉅鹿包囲した

※この「丞相・李斯の刑死」の解説は、「胡亥」の解説の一部です。
「丞相・李斯の刑死」を含む「胡亥」の記事については、「胡亥」の概要を参照ください。

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