マイアミ・ヒート時代とは? わかりやすく解説

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マイアミ・ヒート時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 18:33 UTC 版)

ティム・ハーダウェイ」の記事における「マイアミ・ヒート時代」の解説

シーズン途中であったが、パット・ライリー監督の元、心機一転背番号10(引退後永久欠番となる)。アロンゾ・モーニングとのコンビ機能しマイアミ・ヒート4240敗でプレーオフ滑り込む1回戦で、マイケル・ジョーダン復帰波に乗るブルズスウィープされ敗退するが、ヒート第1期黄金時代幕開け予感させるシーズンとなった8年目 30歳 96-97シーズン 平均得点20.3 アシスト8.6 ヒートオフの間に、ダン・マーリーP・J・ブラウン獲得シーズン中にはトレードジャマール・マッシュバーン獲得黄金期スターター揃いボション・レナード、アイザック・オースティンらの台頭もあり、チーム躍進遂げる。またハーダウェイ本人も、ケガ後遺症もほぼ消え去った頃で、シーズン平均20.3点、8.6アシストと、リーグ屈指のポイントガードだった嘗てのプレーレベルを取り戻す。4年振りオールスターにも出場。他チームからの寄せ集め集団だったヒートを、チームリーダーとしてまとめ上げたことを評価され初めオールNBA1stチームにも選出された。「彼のおかげで俺のプレー向上したモーニング)、「俺たちのゴー・トゥ・ガイ、我がチームMVPさ」(P.J・ブラウン)とチームメイトたちは口々にハーダウェイを讃えた。ライリー監督も「彼の気性統率力技術マジックジョンソン)と同等だ。違うのはサイズだけだよ」と激賞したロサンゼルス・レイカーズ時代マジックコーチだった人物の最大級誉め言葉だった。 ハーダウェイやモーニング活躍で、チームシーズン6121敗と球団史上最高成績で、プレーオフ進出1回戦では、ペニー・ハーダウェイ率いオーランド・マジック対戦。ハーダウェイ対決注目を集める中、ペニー・ハーダウェイ脅威的な活躍大手かけられるものの、元祖ハーダウェイは自分だと言わんばかり意地見せティム爆発辛くも突破チーム初のカンファレンスセミファイナル進出しライリー監督古巣ニューヨーク・ニックス対戦P.J.ブラウンと、チャーリー・ウォード大乱闘ありながらも、何とか勝ち進みチーム初のカンファレンスファイナルまで勝ち進むも、シーズン7210敗と、NBA史上最高勝率挙げたジョーダン率いブルズ呆気なく敗れる。しかしヒートイースタンカンファレンス代表する強豪となった9年目 31歳 97-98シーズン 平均得点18.9 アシスト8.3 2年連続5度目オールスター選出(オールスター選出事実上これが最後)。ヒート5527敗で順調にプレーオフ進出。しかし、カンファレンスセミファイナル因縁ニックス戦では、シャーロット・ホーネッツで元チームメイト同士だったモーニングラリー・ジョンソン乱闘劇により、次の最終戦の第7戦、大黒柱モーニング出場停止処分で欠くヒートは、終始大量リードされる展開だった。マーク集中しながらも奮闘するハーダウェイとブラウン活躍で、一時1点差まで詰め寄る。しかし、期待されたマッシュバーンが精彩欠き、敢えなく敗退ニックスは、ジョンソン不在でも戦力ダウン感じさせない選手層があった一方でヒートシーズン途中に、控えセンターの、アイザック・オースティンをトレード放出してしまっており、モーニング代わり務まるレベルセンターが居なかった。2年連続乱闘劇であり、ニックスとの因縁はさらに深まっていく。この反省から、以降モーニング頭を丸めている。 10年目 3298-99シーズン 平均得点17.4 アシスト7.3 NBAロックダウン影響で、50試合短縮シーズンとなったが、ヒートイースタン最高勝率第1シード獲得ブルズが、ジョーダン引退衰退化し不在プレーオフ優勝絶好チャンス到来であり、下馬評ヒート優勝圧倒的であった1回戦は、シーズン不調で第8シードでギリギリプレーオフに滑り込んだニックスと、3年連続因縁対決最終の第5戦までもつれるものの、残り4.2秒でアラン・ヒューストン逆転許してしまい敗退第1シードが第8シード敗れるのは、史上2度目大番狂わせであった。 尚、その年、ニックスとの因縁一つ増えている。ニックス衰えが目立つパトリック・ユーイング代わりウォリアーズでハーダウェイと犬猿の仲だったスプリーウェルと、97年、マッシュバーン獲得の際に、トレード放出されカート・トーマス主力となり、優勝候補だったヒートと、インディアナ・ペイサーズ破竹の勢い破りNBAファイナルまで進出。ミラクル・ニックスと呼ばれた11年33歳 99-00シーズン 平均得点13.4 アシスト7.4 プレーオフカンファレンスセミファイナルにて、ニックス4度目激突最終の第7戦の残り4.5秒でまたもや逆転され、3シーズン連続最終戦ニックス前に力尽きる。このシーズン最後にニックスとの因縁対決は、ニックス弱体化により幕を閉じる。毎年レギュラーシーズンヒートの方が上位だが、短期決戦プレーオフでは、ニックス軍配があがる対決であった。尚、ハーダウェイは優勝に手が届かぬまま、既に30代中盤差し掛かっており、この頃から衰え少しずつ見え始める。 敗退後のライリー監督会見は、悲壮感満ちており、ファンにとっても衝撃的であったオフシーズン中の、2000年シドニー五輪には、モーニングと共にアメリカ代表として出場し金メダル獲得。ハーダウェイはチーム最年長として、リーダーシップ発揮した世界選手権怪我辞退せざるを得なかったハーダウェイにとって、モーニングと共に獲得した金メダル格別の物であったまた、このオフライリー監督4年固定してきた主力メンバー構成見切りをつけ、積極的にトレード敢行。マッシュバーン、P.J.ブラウンボション・レナード放出しエディ・ジョーンズブライアン・グラントアンソニー・メイソン獲得。ハーダウェイ、ジョーンズメイソングラントモーニングと言う全員オールスタークラスの最強チーム完成。しかし、多く解説者ヒート優勝候補予想する中、シーズン開始直前モーニング腎臓疾患発覚し暗雲立ち込める12年34歳 00-01シーズン 平均得点14.9 アシスト6.3 開幕からモーニング欠きながらも、ハーダウェイのリーダーシップ新加メンバー奮起で、何とかプレーオフ進出モーニング手術リハビリ経てシーズン最終盤に復帰果たしたものの、とても本調子には程遠い状態であり、また、新チーム馴染む前にプレーオフ迎えることになった1回戦は、元チームメイトのマッシュバーン、P.J.ブラウン率いホーネッツ対戦。マッシュバーンはこの年ヒート時代変わりチームエースとして心身共に全盛期迎えており、本調子では無いヒート圧倒。何とこのシリーズヒートスウィープ撃破モーニング不調とハーダウェイの衰え顕著であり、特にハーダウェイは足首怪我押して出場した事もあるが、新進気鋭ホーネッツ若手ポイントガードバロン・デイビススピード付いていけず、また、抑え込まれ世代交代選手生命終わりに近づいている事を、実感せざるを得ないシリーズとなった。このシーズン限りでハーダウェイは、高齢理由ヒートから放出され嘗て恩師ドン・ネルソン監督率いダラス・マーベリックス移籍する

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マイアミ・ヒート時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:23 UTC 版)

マヌート・ボル」の記事における「マイアミ・ヒート時代」の解説

ボル1993年から1994年にかけて1シーズンのみマイアミプレーしたものの、レギュラーとしては起用されなかった。61分間プレー中で2ポイントと6ブロック決めただけで終わった

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