ペンギン飼育
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昭和30年代の長崎水族館では、大洋漁業(現・マルハニチロ)の捕鯨船が南氷洋で捕らえて持ち帰ったペンギンの提供を受けることで、数々の貴重なペンギンを飼育していた。初めて飼育されたペンギンは1959年(昭和34年)2月3日に大阪府・安治川埠頭で鯨肉運搬船「第三十六大洋丸」より提供されたヒゲペンギン4羽(8月5日入館)で、2度目は1961年(昭和36年)2月10日に東京都・晴海埠頭で鯨肉運搬船「播州丸」より提供されたアデリーペンギン3羽(2月11日入館)、3度目は同年4月7日に神奈川県・横須賀港で捕鯨母船「錦城丸」より提供されたジェンツーペンギン7羽とマカロニペンギン1羽(4月8日入館)、4度目は1962年(昭和37年)4月24日に横須賀港で捕鯨母船「第二日新丸」より提供されたオウサマペンギン12羽(4月27日入館)、最後となる5度目は1964年(昭和39年)3月28日に捕鯨母船「第二日新丸」より提供されたコウテイペンギン1羽(3月29日入館)であった。 最初に提供されたヒゲペンギンは氷12kgを入れた蓋付き二重張りのトタン製保冷缶に1羽ずつ収容され、当時は珍しかった冷房付きタクシーに載せて下関から長崎まで輸送された(他に氷蔵の鮮魚運搬車や特急さくらによる輸送も考案された)。季節は真夏であったが車内はかなりの低温になるため、館員と運転手はオーバーとマフラーを着込んで防寒したが、それでも冷凍機の凍結や窓ガラスの曇り、手の悴みなどに苦闘し、長崎には予定を大幅に遅れて到着した。真夏の我慢比べのようなその様子は行く先々で通行人の視線を集めた。1961年に提供された各ペンギンは前述の保冷缶に収容されたのち、羽田空港から深夜便ムーンライトで板付空港まで貨物として空輸された。1962年に提供されたオウサマペンギンもムーンライトで空輸されたが、その収容には新たに網張りの木箱が使用された。ムーンライトが出発する深夜まで空港内で待機する間、ペンギンを一目見ようとスチュワーデスが訪ねてくることもあった。 こうしてはるばる長崎水族館へとやってきたペンギンたちも、原住地が病原体の少ない低温乾燥地帯で抵抗力を持たないことから、コウジカビの一種アスペルギルス・フミガーツスが気嚢に寄生して生じる黴性肺炎(アスペルギルス症)を患い短期間で死んでしまう個体が多かった。最初に飼育されたヒゲペンギン4羽も1962年までに全て死亡している。1954年に上野動物園が水虫薬であるオーレオスライシンによる治療法を確立していたが、当時この薬は大変高価で、一定以上進行した病状には効果がなかった。それでも長期生存した個体もおり、1961年2月に入館したアデリーペンギンのうち1羽が14年間、同年4月に入館したマカロニペンギンが12年7ヶ月間生存した。1962年4月に入館したオウサマペンギンのうち6羽は20年以上生存し、2羽は30年を超え、最後の1羽はあらゆるペンギンを含めて世界最長の飼育記録(39年9ヶ月15日)を達成した。1964年3月に入館したコウテイペンギンも28年5ヶ月間飼育され、同種としては世界最長の飼育記録を残した。 開館当初の長崎水族館は飼育が比較的容易なフンボルトペンギンの飼育経験すらないまま難易度の高い極地性ペンギンの飼育を手掛けることとなったため暗中模索の連続であったが、先進の上野動物園や下関市立水族館(現・下関市立しものせき水族館)に倣いつつ次第にノウハウを獲得した。上野動物園で実施されている「上野方式」と呼ばれるペンギンの屋外飼育法の一部を採り入れ、毎日朝夕に屋内外を往来させる「長崎方式」を確立。この長崎方式の往来習慣が現在も各地の動物園・水族館で続くペンギンの散歩の発祥となった。1965年9月2日には国内で初めてオウサマペンギン「ペギー」の繁殖に成功し、日本動物園水族館協会および東京動物園協会より繁殖賞・高碕賞・技術研究表彰を受けた。1966年8月12日、1967年8月19日、1969年8月16日にもそれぞれ国内2例目・3例目・5例目の繁殖に成功した。
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ペンギン飼育
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長崎ペンギン水族館では、前身の長崎水族館時代からペンギン飼育を継続している。旧長崎水族館は捕鯨業界最大手の大洋漁業(現・マルハニチロ)と資本関係を持っており、同社の捕鯨船が南氷洋から持ち帰ったペンギンを優先的に受け取ることが可能であったため、ペンギン飼育にかけては全国有数であった。最初に飼育されたペンギンは1959年8月に南氷洋から運ばれてやってきた4羽のヒゲペンギンであった。 2015年現在ではキングペンギン、ミナミイワトビペンギン、マカロニペンギン、ジェンツーペンギン、ヒゲペンギン、マゼランペンギン、フンボルトペンギン、ケープペンギン、コガタペンギンの9種類・約180羽を飼育し、うち7種類の繁殖に成功している。 2020年2月にマカロニペンギンが繁殖のためにしものせき水族館「海響館」へ搬出された。そのため、しばらくの間8種類の展示となっていたが、同年12月にキタイワトビペンギン6羽が入館し、再び9種類の展示となった。 このほか、長崎水族館時代にはエンペラーペンギンとアデリーペンギンを飼育していたこともある。飼育・繁殖技術については長崎水族館時代から多くのノウハウを持ち、「長崎方式」として世界にも知られている。飼育しているペンギンの約7割が繁殖したもので、繁殖賞や長期飼育記録もある。また、現在は各地の動物園・水族館で行われているペンギンのパレードは旧長崎水族館が発祥となっている。
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