ベルツの日本観とは? わかりやすく解説

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ベルツの日本観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:17 UTC 版)

エルヴィン・フォン・ベルツ」の記事における「ベルツの日本観」の解説

彼の日記手紙編集したベルツ日記』には、当時西洋人から見た明治時代初期日本様子詳細にわたって描写されている。そのうち来日当初書かれ家族の手紙の中で、明治時代初期日本西洋文明取り入れ様子次のように述べている。 日本国民は、10年にもならぬ前まで封建制度教会僧院同業組合などの組織をもつわれわれの中世騎士時代文化状態にあったのが、一気にわれわれヨーロッパ文化発展要した500年あまりの期間を飛び越えて19世紀全ての成果即座に自分のものにしようとしている(「横領しようとしている」の異訳あり)[要出典]。 このように明治政府西洋文明輸入政策高く評価しその成果認めつつ、また、明治日本文明史的な特異性指摘したうえで、他のお雇い外国人に対して次のような忠告をしている。 このような大跳躍場合多く物事逆手にとられ、西洋思想なおさらのこと、その生活様式誤解して受け入れとんでもない間違い起こりすいものだ。このような当然のこと辟易してならない。ところが、古いものから新しいものへと移りわたる道を日本人教えるために招聘された者たちまで、このことに無理解である。一部のものは日本全てこき下ろし、また別のものは、日本取り入れ全て賞賛する。われわれ外国人教師がやるべきことは、日本人対し助力するだけでなく、助言することなのだ。 文化人類学素養備えていた彼は、当時日本状況に関する自身分析把握を基にして、当時日本状況無理解同僚お雇い教師たち批判した。さらに、彼の批判日本知識人たちにも及ぶ。 不思議なことに、今の日本人自分自身過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。「いや、なにもかもすべて野蛮でした」、「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」という日本人さえいる。このような現象急激な変化対す反動から来ることはわかるが、大変不快なのである日本人たちがこのように自国固有の文化軽視すれば、かえって外国人信頼を得ることにはならないなにより、今の日本必要なのはまず日本文化所産すべての貴重なものを検討し、これを現在と将来要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。 無条件西洋文化受け入れようとする日本人対す手厳しい批判述べられている。また、日本固有の伝統文化再評価を行うべきことを主張している。西洋科学の手法を押し付けるではなくあまりに性急にそのすべてを取り入れようとする日本人姿勢批判し助言行っている。 また大日本帝国憲法制定時には、一般民衆様子を「お祭り騒ぎだが、誰も憲法内容知らない」(趣旨)と描くなど、冷静な観察行っている。 一方東京大学退職する際になされた大学在職25周年記念祝賀会でのあいさつでは、また別の側面から日本人対す批判なされている。 日本人西欧学問成り立ち本質について大い誤解しているように思える日本人学問を、年間一定量仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼動させることのできる機械様に考えている。しかし、それはまちがいである。ヨーロッパ学問世界機械ではなく、ひとつの有機体でありあらゆる有機体同じく花を咲かせるためには一定の気候一定の風土を必要とするのだ。 日本人は彼ら(お雇い外国人)を学問果実切り売り人として扱ったが、彼らは学問育て庭師としての使命感燃えていたのだ。・・・つまり、根本にある精神究めるかわりに最新成果さえ受け取れば十分と考えたわけである。 このような批判日本嫌ってなされたものではない。挨拶の中では、当時日本医学生たちの勤勉さ優秀さ伝え発言なされている。また、教員生活は大変満足できるものであった、とも述べている。しかし、彼はあえて日本人学問対す姿勢対す批判行った。すなわち、本来、自然を究めて世界の謎を解く、という一つ目標向かって営まれるはずの科学が、日本では科学もたらす成果実質的利益にその主眼置かれているのではないか、と。そしてそのこと理解することが、日本学問将来には必要なことである、と彼は述べている。 また、このような言葉残している。 もし日本人が現在アメリカ新聞読んでいて、しかもあちらの全て真似ようというのであればその時は、日本さようならである。 彼は西洋文明輸入に際して日本人姿勢批判し続けていた。これは当時廃仏毀釈の嵐吹き荒れる日本への危機感でもあり、同様の考え持ち親友でもあるハインリヒ・フォン・シーボルト同様に多く美術品・工芸品購入し保存努めている。主治医務めたほど関係があったシーボルトからは晩年そのコレクション管理託されるほどの信頼関係があり(シーボルト急死によりその願い果たされコレクション散逸)、公私渡って親友であったまた、文化の面にしても同様で前述シーボルト誘い歌舞伎鑑賞出掛け、またフェンシング達人でも合った同氏と共に当時随一剣豪であった直心影流剣術榊原鍵吉弟子入りもしている。

※この「ベルツの日本観」の解説は、「エルヴィン・フォン・ベルツ」の解説の一部です。
「ベルツの日本観」を含む「エルヴィン・フォン・ベルツ」の記事については、「エルヴィン・フォン・ベルツ」の概要を参照ください。

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