フランス民法の変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 19:36 UTC 版)
「フランス民法典」の記事における「フランス民法の変容」の解説
妥協的性格をも併せ持つものである分、制定時のナポレオン民法典はナポレオン個人の思想とも相まって、封建時代の残滓ともいうべき不平等の規定も有しており、外国人の人権の制限、非嫡出子の差別的取り扱いを規定していたばかりでなく、一応男女平等を原則としながらも、婚姻時には他の近代法典と比べても強大な夫権・父権優位の家父長制を採用していた。 財産法におけるような自由・平等の理念はどこにあるだろうか。……慣習と革命の理念を調和させ、中庸の道をとったとされるフランス民法典の親子関係は、子の監護・教育という幼児・小児にとって必然的に必要な権威以上に、親の権力を認めていた。また、とくに夫婦関係において、男女の平等、女性の自由は、不十分であった。……憲法学者により、人権宣言が人権を認めた「人」は、実際は男性であったと指摘されている。第二に、19世紀から最近のドイツやフランスにおいて、「人」とは、実は旧来の男性たる「家長」であり、「社会」は彼らの構成する社会であって、自由・平等も家長のものであったとされる。 — 星野英一、1998年 旧213条 夫は妻を保護する義務を負ひ、妻は夫に従ふ義務を負ふ。 旧214条 妻は夫と同居する義務を負ひ、夫が居住するに適せりと為す如何なる地へも夫に従ふべき義務を負ふ。夫は妻を引取り、資力と身分とに応じて生活の需要に必要なる総てを妻の為に供する義務を負ふ。 旧217条 妻は、共有財産制の下に在らざるときは、又は別産制の下に在るときと雖も、行為に於ける夫の協力又は書面に依る同意なくして贈与、有償又は無償名義に依る譲渡、抵当権設定、取得行為を為すことを得ず。 現229条 夫は妻の姦通を理由として離婚の訴えを提起することを得。 旧230条 妻は夫が共同の家に其の情婦を引入れたる場合に、夫の姦通を理由として離婚の訴えを提起することを得。 旧374条 子は、満18年以後に、志願兵として入営する為に非ざれば、父の許可なくして父の家を去ることを得ず。 旧376条 1.子が16年以下なるときは、父は裁判所の権力に依り其教育場収容を命ぜしむることを得。 日常家事行為についての妻の代理権すら法文上は認めない徹底した妻の無能力制度はローマ法やフランス旧王朝すら採用しなかったものであり、不合理であるとして批判され、判例によって事実上死文化され、その後改正されていくことになる。特に夫に家の外での姦通権を保障するがごとき極端の不平等規定はさすがに早くも1884年に改正されたが、刑法上、家の中に間男を引き入れた妻の殺害の免責規定(仏刑法旧324条)はその後も長く続いた(1975年に削除)。また、万人の権利能力平等の原則は否定されており、1848年のデクレ(政令)で禁止されるまで植民地での外国人に対する奴隷制を許容していた第8条は、今なお法文上は現行法である。植木枝盛はこのような差別的法典を日本は金科玉条にすべきでないと批判していた。現在のフランスでも、ナポレオンの評価が分かれる一因になっている。 時代の進展とともに、フランス民法典が確立した契約自由の原則も、かえって経済的弱者を圧迫する強者の自由に外ならなくなり、所有権絶対の原則も公共の福祉の観点から様々な制約を受けざるをえないものとなる。 他にも、平等分割主義は農地の細分化を招いて農家を困窮させるなど、数多くの問題点を露呈してやがて世界各国への影響力を減じていったが、19世紀後半より現実の生きた判例を研究し、法典の立法・解釈に生かそうとする新しい方法論(自由法論、科学学派)が隆盛したことによって、その命脈を保つことになった。
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