フランス沿岸の作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 19:54 UTC 版)
「ハイダ (駆逐艦)」の記事における「フランス沿岸の作戦」の解説
1944年1月10日、ハイダはプリマスで第10駆逐艦戦隊(10th Destroyer Flotilla)に配属され、ビスケー湾やドーバー海峡のフランス沿岸で敵の船舶を掃討することになった(トンネル作戦及びホスタイル作戦) 。第10駆逐艦戦隊と軽巡洋艦ブラック・プリンス、ベローナは第26部隊(Force 26)を編成、4月までハイダは合計19回の任務を実施した。 4月25日から26日にかけて、ハイダとブラック・プリンス、駆逐艦アシャンティ(英語版)、カナダ海軍のアサバスカン(英語版)そしてヒューロン(英語版)は、ドイツ海軍第4水雷艇戦隊所属のT22型水雷艇T24、T29、T27と遭遇した。T27は早々に被弾してモルレーに撤退し、ハイダはT29を撃沈、T24は損傷しサン・マロへ逃れた。 4月28日から29日の夜、サン・マロからブレストへ移動しようと試みたT24とT27を、ハイダとアサバスカンがホスタイル作戦の一環としてサン=ブリユー沖で迎撃した。アサバスカンはT24からの雷撃を受けて沈没してしまったが、ハイダはT27を砲撃し擱座・炎上させた。最終的にT27は高速魚雷艇MTB673によって破壊された。アサバスカンの乗員128名が戦死し、ハイダはアサバスカンの生存者44名を救助した。さらに83名がドイツ軍の捕虜となりフランスへ移送された。 ノルマンディー上陸作戦に先立つ数週間、ハイダと僚艦ヒューロンはホスタイル作戦を継続した。ノルマンディー上陸作戦の期間中、ハイダを含む第10駆逐艦戦隊はドーバー海峡西口で水上戦闘に加わった。6月8日から9日、ハイダは第26任務部隊(Task Force 26)に加わり、ドイツ海軍第8駆逐艦戦隊の駆逐艦Z32、Z24、ZH1、水雷艇T24とイル=ド=フランス北西にて交戦した(ブルターニュ沖海戦)。この海戦でハイダとヒューロンは共同でZ32を沈めた 。シェルブールが陥落したことでドイツのSボートはル・アーヴルへ移動したため、第10駆逐艦戦隊は任務から解放された。戦隊はそれから連合軍の高速魚雷艇隊の援護に主要な任務を果たし、フランス沿岸のドイツ側船舶掃討も継続して行った。 6月24日、ランズ・エンド沖のドーバー海峡を哨戒中に友軍のリベレーター爆撃機が敵潜水艦を発見し爆雷攻撃を行った。さらに通報を受けたハイダとイギリス海軍のエスキモー(英語版)も爆雷攻撃を実施した。数度の攻撃の後、潜水艦は浮上し逃走を図った。ハイダとエスキモーは砲撃を開始し、ついにこの潜水艦を沈めた。このUボートはU-971(英語版)であり、ハイダは生存者6名を救助した。 7月14日から15日にかけて、ハイダとポーランド海軍の駆逐艦ブリスカヴィカはロリアン沖合のグロワ島付近でドイツ側船団を攻撃した。駆潜艇UJ1420とUJ1421、商船1隻を沈め、他の2隻を炎上させた。8月5日から6日にかけ、ハイダはキネティック作戦の掃討任務に加わった。ハイダを含む掃討部隊はユー島北方で敵船団を攻撃、掃海艇M263、M486、哨戒艇V414(英語版)と沿岸ランチ オットーを沈めた。戦闘中、ハイダの主砲の一つで砲弾の爆発事故が発生した。この事故で2名が死亡、8名が負傷し、その主砲は使用不能になった。ハイダらはさらに別の船団を攻撃しようと試みたが、沿岸砲台から砲撃を受けたため撤退を余儀なくされた。
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