ドイツとの親密な関係
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「エドワード8世 (イギリス王)」の記事における「ドイツとの親密な関係」の解説
1937年10月、ウィンザー公夫妻はイギリス政府の忠告に反してアドルフ・ヒトラーの招待を受けてドイツを訪問し、ヒトラーの山荘であるベルヒテスガーデンに滞在した。夫妻の訪独はドイツのメディアで大々的に報道され、滞在中の挨拶はナチス式敬礼で通していた。 ドイツによる国賓扱いや国民の歓迎を受けたことで、夫妻の自尊心と虚栄心は満たされたものの、ドイツのオーストリア併合やチェコスロバキア併合の実施など、ドイツによる覇権拡大政策をめぐりヨーロッパにおける情勢が緊迫を増し、英独関係が悪化を続けた後もしばしばドイツを訪問した。当時イギリスではネヴィル・チェンバレン政権によるドイツに対する宥和政策が進められていたものの、ウィンザー公夫妻による度を越したドイツへの肩入れは、ドイツに誤ったシグナルを送るものとして、イギリス王室と政府、そしてマスコミから強い反発を受けた。 1939年9月1日にドイツがポーランドへの侵攻を開始したことを受けて、9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告した直後に、ルイス・マウントバッテンの命令で、夫妻は滞在先のフランスから海軍駆逐艦「ケリー」で帰国させられ、ウィンザー公はフランスのマジノ線における陸軍の軍事作戦に従軍する少将に任ぜられた。 しかし、ウィンザー公夫妻はそのままイギリスに留まることを拒否しフランスに戻ったが、1940年5月のドイツのフランス国内への進軍に伴い、夫妻は南へ移住することを決め、同月にフランスのビアリッツ、6月にスペインに滞在した後、7月にポルトガルのリスボン在住の英独双方と接触を持つ銀行員の邸宅に身を寄せた。 リスボン滞在中の1940年7月に、ヒトラーが「イギリス政府の理性的反省にもとづく和平交渉に臨む用意がある」としたうえで、「この提案を無視すればイギリス本土での全面戦争も辞さない」と述べたことに対し、ウィンザー公はロイド・ジョージ等とともに和平に応じるよう呼びかけた。このウィンザー公の言動に対して、以前はウィンザー公に対して好意的であったが、今や対独強硬派のチャーチル首相が「ウィンザー公の欧州戦争に対する影響力を最小限に止めたい」と主張したことや後述のスパイの報告から、イギリス政府は8月18日に急遽、ウィンザー公をイギリスの植民地であり、ヨーロッパの戦場から遠く離れたバハマにおける総督と駐在イギリス軍の総司令官に任命し、直ちにウィンザー公夫妻を同地に送った。 総督とはいえ、実際には名誉職であり、閑職も同然という状態であったが、バハマを「3等植民地」として言及し、農業生産の拡大や子供たちを対象とした診療所の開設など、同地域における貧困対策に尽力する姿勢は、一定の評価を受けた。しかし、前述のような人種差別志向から、ウォリス夫人と同様、現地の黒人を差別するような言動も多かったと言われている。 さらに、プラハにいたイギリスのスパイから外務次官宛の1940年6月付の報告で「ウィンザー公が水面下でドイツ政府と交渉を行った結果、ウィンザー公とドイツ政府の間で、ウィンザー公を首班とした反政府組織の設立にドイツが協力することと、ドイツが勝利した後に自身をイギリス国王へ返り咲かせる(そしてウォリスを王妃に就かせる)という密約を結んだ」ことが明らかになった(なおこのような報告があった事実は2010年代まで公表されなかった)上に、連合国の情報をドイツにリークしていたという疑惑も挙がった。 ウィンザー公はこのような疑惑や、「バハマ総督の職務以上の事に関与しようとしている」ことを否定したものの、1941年4月に夫人と共に、沖合でドイツ海軍のUボートが活動していたアメリカのフロリダ州パームビーチに出向いた際は、ルーズベルト大統領の指令により、常にFBIの監視下に置かれていたと言われている。なお、ドイツの降伏の1か月半前の1945年3月16日に総督を辞任した後は、イギリスに帰国せずに同年8月の第二次世界大戦終了までアメリカでバカンスを過ごした。 なお、第二次世界大戦後に自ら認めた回顧録『ある王の物語』の中でウィンザー公は、自らを親独派であったことを認めたうえで、「決してナチズムを支持していた訳ではない」と釈明した。また、アルベルト・シュペーアは戦後、ヒトラーは「ウィンザー公との接触を失ったことは、我々にとって、大きな痛手だった」という旨の発言をしていたことを証言しており、ドイツ政府が水面下でウィンザー公と接触していたこと、そしてそれに気づいたイギリス政府が接触を切ったことが明らかになった。 他にも、ヒトラーはイギリスを降伏させたあとの傀儡政権のトップとしてウィンザー公を国王に復位させるべく、ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将に命じて、リスボン滞在中のウィンザー公を誘拐する作戦(英語版)を企てていた事が、後年明らかになっている。
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