ドイツとの親密な関係とは? わかりやすく解説

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ドイツとの親密な関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:37 UTC 版)

エドワード8世 (イギリス王)」の記事における「ドイツとの親密な関係」の解説

1937年10月ウィンザー公夫妻イギリス政府忠告反してアドルフ・ヒトラー招待受けてドイツ訪問しヒトラー山荘であるベルヒテスガーデン滞在した夫妻の訪独はドイツメディアで大々的報道され滞在中の挨拶ナチス式敬礼通していた。 ドイツによる国賓扱い国民歓迎受けたことで、夫妻自尊心虚栄心満たされたものの、ドイツオーストリア併合チェコスロバキア併合実施など、ドイツによる覇権拡大政策をめぐりヨーロッパにおける情勢緊迫増し英独関係が悪化続けた後もしばしばドイツ訪問した当時イギリスではネヴィル・チェンバレン政権によるドイツ対す宥和政策進められいたものの、ウィンザー公夫妻による度を越したドイツへ肩入れは、ドイツ誤ったシグナルを送るものとして、イギリス王室政府、そしてマスコミから強い反発受けた1939年9月1日ドイツポーランドへの侵攻開始したことを受けて9月3日イギリスフランスドイツ宣戦布告した直後に、ルイス・マウントバッテン命令で、夫妻滞在先のフランスから海軍駆逐艦ケリー」で帰国させられウィンザー公フランスマジノ線における陸軍軍事作戦従軍する少将に任ぜられた。 しかし、ウィンザー公夫妻そのままイギリス留まることを拒否しフランス戻ったが、1940年5月ドイツフランス国内への進軍に伴い夫妻南へ移住することを決め同月フランスビアリッツ6月スペイン滞在した後、7月ポルトガルリスボン在住英独双方接触を持つ銀行員邸宅身を寄せたリスボン滞在中の1940年7月に、ヒトラーが「イギリス政府理性的反省にもとづく和平交渉に臨む用意がある」としたうえで、「この提案無視すればイギリス本土での全面戦争辞さない」と述べたことに対しウィンザー公ロイド・ジョージとともに和平応じるよう呼びかけた。このウィンザー公言動に対して以前ウィンザー公に対して好意的であったが、今や対独強硬派チャーチル首相が「ウィンザー公欧州戦争対す影響力最小限止めたい」と主張したことや後述スパイ報告から、イギリス政府8月18日急遽ウィンザー公イギリスの植民地であり、ヨーロッパ戦場から遠く離れたバハマにおける総督駐在イギリス軍総司令官任命し直ちウィンザー公夫妻同地送った総督とはいえ実際に名誉職であり、閑職同然という状態であったが、バハマを「3等植民地」として言及し農業生産拡大子供たち対象とした診療所開設など、同地域における貧困対策尽力する姿勢は、一定の評価受けた。しかし、前述のような人種差別志向から、ウォリス夫人と同様、現地黒人差別するような言動多かったと言われている。 さらに、プラハにいたイギリススパイから外務次官宛の1940年6月付の報告で「ウィンザー公水面下ドイツ政府交渉行った結果ウィンザー公ドイツ政府の間で、ウィンザー公首班とした反政府組織設立ドイツ協力することと、ドイツ勝利した後に自身イギリス国王返り咲かせる(そしてウォリス王妃就かせる)という密約結んだ」ことが明らかになった(なおこのような報告があった事実2010年代まで公表されなかった)上に、連合国情報ドイツリークしていたという疑惑挙がったウィンザー公このような疑惑や、「バハマ総督職務上の事に関与しようとしている」ことを否定したものの、1941年4月夫人と共に沖合ドイツ海軍Uボート活動していたアメリカフロリダ州パームビーチ出向いた際は、ルーズベルト大統領指令により、常にFBI監視下に置かれていたと言われている。なお、ドイツの降伏1か月半前の1945年3月16日総督辞任した後は、イギリスに帰国せずに同年8月第二次世界大戦終了までアメリカでバカンス過ごした。 なお、第二次世界大戦後に自ら認めた回顧録『ある王の物語』の中でウィンザー公は、自らを親独派であったことを認めたうえで、「決しナチズム支持していた訳ではない」と釈明したまた、アルベルト・シュペーア戦後ヒトラーは「ウィンザー公との接触失ったことは、我々にとって、大きな痛手だった」という旨の発言をしていたことを証言しており、ドイツ政府水面下ウィンザー公接触していたこと、そしてそれに気づいたイギリス政府接触切ったことが明らかになった。 他にも、ヒトラーイギリス降伏させたあとの傀儡政権トップとしてウィンザー公国王復位させるべく、ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将命じてリスボン滞在中のウィンザー公誘拐する作戦英語版)を企てていた事が、後年明らかになっている。

※この「ドイツとの親密な関係」の解説は、「エドワード8世 (イギリス王)」の解説の一部です。
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