ドイツで起こった文学論争とは? わかりやすく解説

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ドイツで起こった文学論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 04:24 UTC 版)

国境の南、太陽の西」の記事における「ドイツで起こった文学論争」の解説

2000年6月30日放映されドイツ公開書評番組文学カルテット」(Das Literarische Quartett)に本書ドイツ語版Gefährliche Geliebte』(「危険な愛人」の意)が取り上げられた。同番組1988年から続いており、ドイツだけでなくオーストリアスイスでも同時に放映される人気番組であったが、日本の作品取り上げられるのは初めてのことであった仕切り役である評論家マルセル・ライヒ=ラニツキーMarcel Reich-Ranicki)は本書賞賛するも、オーストリア女性評論家ジーグリット・レフラー(Sigrid Löffler)は注目値しないファーストフード文学呼び、性描写ポルノ的で性差別的と見なしライヒ=ラニツキーと正面から対立した論争加熱し番組終盤両者間の個人攻撃化した。この出来事ドイツオーストリアスイスマスコミによって広く報道されそのことにより本書ドイツ語版放送後2週間2万2000部も売れたという。 同年7月11日全国紙の『ディー・ターゲスツァイトゥング』が本書日本語からでなく英語からの翻訳であることを「スキャンダル」であるとして、強く非難した日本および日本文化専門であるヘルベルト・ヴォルム(Herbert Worm教授重訳されたドイツ語版には問題があることを指摘村上著作をめぐる文学論争は、重訳の是非の問題発展した7月下旬レフラーは同番組レギュラー・コメンテーターの座を降りることを発表程なくしてドイツ新聞社村上対し、これら一連の騒動についてどう思うかという質問の手紙を出し村上当時コラム連載していた『anan誌上2000年9月15日号)に、手紙対す回答書いている。 なお、日本語から訳したドイツ語版2013年5月16日にようやく出版された。翻訳者はウルズラ・グレーフェ(Ursula Gräfe)。タイトル直訳の「Südlich der Grenze, westlich der Sonne」に変更された。

※この「ドイツで起こった文学論争」の解説は、「国境の南、太陽の西」の解説の一部です。
「ドイツで起こった文学論争」を含む「国境の南、太陽の西」の記事については、「国境の南、太陽の西」の概要を参照ください。

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