ドイツで起こった文学論争
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「国境の南、太陽の西」の記事における「ドイツで起こった文学論争」の解説
2000年6月30日に放映されたドイツの公開書評番組「文学カルテット」(Das Literarische Quartett)に本書のドイツ語版『Gefährliche Geliebte』(「危険な愛人」の意)が取り上げられた。同番組は1988年から続いており、ドイツだけでなくオーストリアやスイスでも同時に放映される人気番組であったが、日本の作品が取り上げられるのは初めてのことであった。仕切り役である評論家のマルセル・ライヒ=ラニツキー(Marcel Reich-Ranicki)は本書を賞賛するも、オーストリアの女性評論家ジーグリット・レフラー(Sigrid Löffler)は注目に値しないファーストフード文学と呼び、性描写をポルノ的で性差別的と見なし、ライヒ=ラニツキーと正面から対立した。論争は加熱し、番組終盤は両者間の個人攻撃と化した。この出来事はドイツ、オーストリア、スイスのマスコミによって広く報道され、そのことにより本書ドイツ語版は放送後2週間で2万2000部も売れたという。 同年7月11日、全国紙の『ディー・ターゲスツァイトゥング』が本書が日本語からでなく英語からの翻訳であることを「スキャンダル」であるとして、強く非難した。日本および日本文化が専門であるヘルベルト・ヴォルム(Herbert Worm)教授も重訳されたドイツ語版には問題があることを指摘。村上の著作をめぐる文学論争は、重訳の是非の問題に発展した。 7月下旬、レフラーは同番組のレギュラー・コメンテーターの座を降りることを発表。 程なくしてドイツの新聞社は村上に対し、これら一連の騒動についてどう思うかという質問の手紙を出し、村上は当時コラムを連載していた『anan』誌上(2000年9月15日号)に、手紙に対する回答を書いている。 なお、日本語から訳したドイツ語版は2013年5月16日にようやく出版された。翻訳者はウルズラ・グレーフェ(Ursula Gräfe)。タイトルも直訳の「Südlich der Grenze, westlich der Sonne」に変更された。
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