ドイツでの逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/13 15:29 UTC 版)
「ジョージ・トロフィモフ」の記事における「ドイツでの逮捕」の解説
1992年、元KGB職員ワシリー・ミトロヒンが大量の極秘文書(ミトロヒン文書)とともにイギリスへと亡命した。この中には「侯爵」の活動について述べられているものもあった。ミトロヒン自身は「侯爵」の名を知らなかったが、漠然とした人物像を描くことはできた。また、「侯爵」に関する文書はその身分について「高位のアメリカ人情報将校」としており、ロシア正教会の聖職者が連絡員を務めている旨も記されていた。 1994年12月14日、トロフィモフ大佐とズーゼミールはBKAによって逮捕された。拘束後、トロフィモフは上官からセキュリティクリアランスの取り消しと年金の抹消を告げられた。2人は予備審問のために連邦裁判所所属の裁判官ベルンハルト・ボーデ博士(Bernhard Bode)の元へと送られた。ズーゼミールはトロフィモフに金を貸したことを認めたものの、KGBの関与については否定した。ただし、教会内でKGBが活動していたであろうという点については認めている。また、家政婦グードゥラ・ウォーカー(Gudula Walker)との間に「非常に強力な個人的関係」があったことも認めた。 ドイツの防諜法では5年を時効期間と定めているため、ボーデ博士は告訴手続きを却下した。これによって2人は釈放された。トロフィモフ大佐の5番目の妻であるユッタ・トロフィモフ(Jutta Trofimoff)は、夫の逮捕を受けて非常に困惑したという。彼女は後に次のように回想している。 ジョージのスパイ活動について、私は何も知りませんでした。彼が逮捕された時は心底驚いて、家に帰ってきた朝には何があったのか正直に話してちょうだいと尋ねたのです。彼は「何もやってない。両親の墓に誓うよ」と答えました。私が疑いを持った時点で彼が真実を話していたなら、私はその場で離婚していたでしょう。 その後、トロフィモフ夫妻はドイツを離れ、フロリダ州メルボルンのゲーテッドコミュニティで退職者として暮らした。
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