タコメトリック式爆撃照準器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:47 UTC 版)
「爆撃照準器」の記事における「タコメトリック式爆撃照準器」の解説
ベクトル式爆撃照準器を使う上での主な問題の一つは、爆弾投下前に長い直線飛行が必要なことだった。これは操縦士が風の影響を正確に計算し、ある程度の精度で適正な飛行方向を設定するための充分な時間を必要としたためである。もしも爆撃行程中に何かが変更されれば、ことに防御砲火を避けるために航空機が機動すると、全ての設定が再びやり直しとなった。加えて、単葉機の導入によって方位の補正がもっと難しくなった。これは従来の複葉機で対応していたよりもスリップターンが容易ではなかったためである。こうした機体は「ダッチロール」と呼ばれる効果によって旋回が難しくなり、しかも水平飛行の後に振動を起こす傾向があったために苦しめられた。これによって爆撃手が飛行経路を補正する時間がさらに減らされた。 後者の問題の解決策はすでにしばらくの間使われていた。それは機動中や突風が吹きつけていても爆撃照準器をほぼ下向きに保持するために、ある種のジンバル機構を用いることだった。1920年代という初期の試験では、爆撃の精度がおおよそ2倍になる可能性が示された。アメリカではこの分野において、加重ジンバルに搭載されたエストピー爆撃照準器や、今日では慣性プラットフォームと呼ばれる装置にアメリカ版CSBSを据え付ける、スペリー・ジャイロスコープの試験など、積極的な計画が実施された。こうした同様の装置の開発は、最初の有用な自動操縦装置の導入に至った。これに所要の行程を直接ダイヤル入力し、航空機はそれ以上の入力をすることなく回頭し、飛行する。多様な爆撃照準器が一種か両方のこのようなシステムを採用し、1920年代から30年代を通じて検討された。 同時期、別の開発ライン上では初の信頼性のある機械式計算機が登場するに至った。これらは入念に形作られたカムのような装置で、複雑な数字表の代わりに使うことができ、また一連の歯輪や動輪で手動の計算を行った。元々は足し算や引き算などから成るごく簡単な計算に制限されていたが、1930年代にはこれらの機械が微分方程式を解くのに使える地点にまで進歩していた。こうした機械式計算機を爆撃照準器に用いると、爆撃手は機速、高度、方位、既知の大気状況といった基礎的な航空機の諸元をダイヤル入力できた。また爆撃照準器は適切な照準点をわずかな瞬間で自動計算した。いくつかの従来的な入力、つまり機速や高度といったものは機体の装備品から直に入力され、操作上の誤差を根絶している。 このような開発状況は現場ではよく知られていたものの、アメリカ陸軍航空隊とアメリカ海軍のみが協調して開発努力を行った。1920年代の間、海軍はノルデン爆撃照準器用の開発資金を提供し、一方で陸軍はスペリーO-1の開発に資金を出した。両システムとも一般的には同様である。小型のテレスコープで構成される爆撃照準器が、照準ヘッドを安定して保持するための安定台の上に据えられている。別の機械式計算機が照準点を割り出すために用いられた。照準点は照準器にフィードバックされ、自動的にテレスコープを偏流と航空機の動きを計算した適正な投下角に旋回させ、視界に標的を保持する。爆撃手がテレスコープを通じて照準した際、彼は除去しきれなかった偏流を観察し、操縦士に連絡できる。または後にはこの情報を自動操縦装置にじかに入力できた。視界内の標的を照準し続けるためテレスコープを動かすだけで、風の影響を継続的に再計算し、微調整するという副効果があったために非常に精度が増した。さまざまな理由により、陸軍はスペリー式照準器から興味を失い、スペリー式からの機能とノルデンの機能が新しいモデルのノルデン爆撃照準器に統合された。そののち、ノルデン爆撃照準器はアメリカ製の高高度爆撃機のほぼ全てに装備されており、特にB-17フライングフォートレスが有名である。試験ではこれらの爆撃照準器が非常に良い精度を生み出した。実戦ではしかしながら、運用上の要因がこれらをひどく狂わせ、それはノルデン爆撃照準器を使用したピンポイント爆撃を最終的に放棄させるほどだった。 アメリカではタコメトリックを用いたコンセプトを開発するため最大限努力していたが、彼らは他のものも研究していた。イギリスではCSBSを代替する努力として、自動爆撃照準器(ABS)を1930年代中期から開発し続けていた。しかし、ABSは照準システムの安定化機構も、ノルデン式の自動操縦システムも取り入れなかった。試験ではABSの使用が難しすぎること、計算機が照準点を割り出すために必要な爆撃行程が長すぎることが明らかになった。イギリス空軍の爆撃機本部がCSBSでさえ標的への直線飛行が長すぎると不満を述べたときに、ABSの配備のための努力は終わりを迎えた。彼らの要求を満たすため、新型のベクトル式爆撃照準器であるMK.XIVが開発された。Mk.XIVは安定台と照準用計算機を備えていたが、全体的な機能はCSBSのように作動するものだった。爆撃手は適正な角度に照準システムを動かすため計算機を調整したが、爆撃照準器は標的を追尾せず、飛行経路の修正を試みる事もしなかった。このシステムの優位性は劇的に使用が速くなった事で、航空機が機動中であっても使う事ができ、投下前に僅か数秒の直線飛行を必要とするだけだった。量産能力の不足に直面し、スペリーはアメリカでのMk.XIVの生産契約を結んだ。これはスペリーT-1と呼ばれた。 後々、イギリスとドイツの両国はノルデン爆撃照準器に似た機材を独自に導入した。少なくともドイツ空軍では、デュケインのスパイ網を通じて得られた部分的なノルデン爆撃照準器の情報を基とし、ロートフェルンローア7を開発している。基本的な機構はほぼノルデンのものと同じだが、ただしもっと小型だった。特定の用途ならばロートフェルンローア7は単座航空機でも使う事ができ、世界最初の運用可能なジェット爆撃機であるAr234に搭載された。戦争中、イギリス空軍は正確な高高度爆撃の必要があり、1943年にABSの安定化バージョンを導入している。この手作りの安定化自動爆撃照準器は極めて限られた数しか生産されず、ダムバスターとして有名なRAF617中隊のみが使用している。 これら全ての設計はまとめて「タコメトリック式爆撃照準器」として知られる。「タコメトリック」とは指定の速度で回転するねじや歯車を計測するタイミング機構のことをさす。
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