ベクトル式爆撃照準器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:47 UTC 版)
航空機の経路に影響する任意の風を計算することは、航空航法ではすでによく理解されていた問題であり、基礎的なベクトル計算が必要である。ウィンぺリスはこうした数学に非常に通じており、この論題について独創的で入門的なテキストを執筆し続けていた。同様の計算法は爆弾の弾道にもちょうどうまく適用できたが、爆弾の落下時の速度変化を計算するためのいくつか小さな補正を加えている。偏流照準器が導入されると同時に、ウィンぺリスはこうした計算問題の解決を助け、また風や爆撃行程の方位に関わらず風の影響を検討できる新しい爆撃照準器に取り組んでいた。 その結果、「戦時中で最も重要な爆撃照準器」と呼ばれるコース設定爆撃照準器(CSBS)が開発された。高度、機速、風向風力の数値をダイヤル入力し、これにより各種の機械式計算装置を回転、スライドさせることでベクトルの問題を処理する。いったん調整すれば爆撃手は地上の対象を監視し、照準器の左右両端の細いワイヤーでその動きを比較する。もしなんらかの横滑りの動きがあれば、操縦士は偏流を解消するため新しい進路に機を回頭させる。普通は数回の試行が必要であり、この時点で、横滑りする運動なしに航空機は投下地点をよぎる適正な方向を飛んでいる。その後、爆撃手もしくはいくつかの機体では操縦士が付属のアイアンサイトで投下のタイミングを狙う。 CSBSは1917年に実戦投入され、余積のある機体ならば速やかに初期の照準器と交換された。CSBSはかなり大きな装置だった。戦争の進行とともに、異なる速力、高度、そして爆弾の型式に合わせた派生型が導入された。第一次大戦後、CSBSはイギリスで用いられる主な爆撃照準器であり続けた。外国の空軍向けに数千基が売却され、世界各国で量産のために数多い派生品が作り出されている。CSBSの派生型を基としていくつかの試作装置が開発され、有名な物は戦後まもなく開発されたアメリカのエストピーD-1照準器である。また同様の派生型が各国で生まれている。こうした「ベクトル式爆撃照準器」は全てが基本的なベクトル計算システムと偏流測定用ワイヤーを共有し、主に形状や光学機器が異なっている。 爆撃機が進歩発展し、複座の航空機が広まると、操縦士と爆撃手が同じ機材を共有することはもはや可能ではなくなり、また爆撃手が操縦士より下の機首の方へ配置されると、手信号はもう見えなくなった。二重の光学機器や、似たような様々な解決法が戦間期に提案されたものの、これらはどれも広く採用されることが無かった。これは電気的に表示装置を動かす操縦士用の方位指示器(PDI)の導入に至った。この装置は機内の離れた位置にいる爆撃手が方位の修正表示に用いる。 第二次世界大戦に入ってしばらく、ベクトル式爆撃照準器はほぼ全ての空軍の標準的な装備として残った。また1942年まではイギリス空軍の任務に使われる主力照準器だった。CSBSを大きく上回る、もっと新しい爆撃システムの導入があるにもかかわらず、もしくはCSBSの新型でさえ幾つもの理由によって採用に失敗した。CSBSの後期型は最終的にMark Xまで到達し、数種類の異なる爆弾を補正し、動目標を襲撃でき、より容易く風を計測できるシステム、そしてその他多くの機能が含まれていた。
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