ジョホール王国の歴史的意義
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「ジョホール王国」の記事における「ジョホール王国の歴史的意義」の解説
ジョホール王国は、マラッカ王国の後身として現在のマレーシアにつながっている。 たとえば、マレー語の古典のなかでも特に重要なひとつとみられているのが上述の『スジャヤ・ムラユ』である。この歴史書は、1612年、ジョホール王国の世襲の宰相(ブンダハラ)によって現在のようなかたちに整えられた。内容はマラッカ王国の歴史で、アレクサンドロス3世(大王)にさかのぼり、パレンバン(スマトラ島)のシュリーヴィジャヤ王国のパラメスワラ王子の血を引くという王統の神話的記述にはじまり、マラッカの宮廷を中心としたマラッカ王国の建国とその黄金時代、そして、1511年のポルトガルの侵略による王国滅亡までを叙述している。 また、マラッカ王国時代のムラカで編纂された「ムラカ法典」は、シャリーア(イスラーム法)と在来の慣習法を統合したものであり、これはジョホール王国にも引き継がれて東南アジアの海域世界での商業規範となった。この法典はジョホール・リアウ王国のみならず、アチェ、クダ、パハン、パタニ、ポンティアナック(現インドネシア・西カリマンタン州)、ブルネイ(現ブルネイ・ダルサラーム国)などの諸港市でも採用され、再編纂された。この法典のなかの「海事法」は特に、船長や乗組員の役務や権限のほか積荷の扱いなどの詳細な規定であったが、これもまた、ブギス人によって再編成された。その結果、ムラカ-ジョホールの商業ネットワークをとおして、売買・賃貸・委託取引などをめぐる規範をそのなかにもっているイスラームの教えが重視された。東南アジアのイスラーム化は、大量の移民や軍事的征服によらずして既存の王国全体が王を頂点としてイスラームに改宗したことが特徴的であり、それは諸港市をむすぶ紐帯・規範として機能した。 本来、「マレー人」とはマラッカ王国の王族・貴族およびムラカの地元民を指していた。しかし、上述のように、マレー世界の広がりとともに、ミナンカバウ人やブギス人が交易に参入し、ジョホール王国の国内政治においても重要な役割をになうようになると、「マレー人」は、その出自よりも文化様式にもとづいて再定義されることが多くなった。たとえば、リアウに居住したブギス人たちは、必ずしもマレー人との差異を強調したわけではなかった。ブギス人は、マレー人との通婚などを通してマレー文化に親しみ、自分自身をマレー社会の一員と考えていた。上述の『トゥーファト・アル・ナーフィス(貴重な贈り物)』の著者で副王家に連なるブギス人のラジャ・アリ・ハジは、自著のなかでヨーロッパ文明に傾倒して伝統的なマレー文化を軽視しがちなリンガ諸島在住のスルタンを批判し、マレー人支配者の採るべき行動や正しいマレー語の使用法を訴えているほどである。そしてまた、マレー人王族との共存を『クルアーン(コーラン)』をはじめとするイスラームの教義のなかに見出そうとしたのである。 さらに、現在のインドネシアの国語であるインドネシア語、マレーシアの公用語のひとつであるマレー語、さらにブルネイの公用語ブルネイ・マレー語(ムラユ語)はともに、かつてはムラカの言語であったが、東南アジアの島嶼部で広く商業用の共通語として用いられたところから、ジャワ語など多数者の日常語をさしおいて、それぞれの国の国語・公用語として採用されたものである。マレー語は元来、リアウ・リンガ諸島付近で話されていたオーストロネシア語族に属する一言語であった。これがムラカ-ジョホールの交易ネットワークの拡大とともにアラビア語、ペルシア語、タミル語、ジャワ語などの語彙を取り込んで発展したのである。なお、16世紀初頭、マラッカ海峡におとずれたポルトガル人トメ・ピレス(英語版)の『東方諸国記(ポルトガル語版)』によれば、このときスマトラ島東海岸の各地域では互いに異なる言語が用いられていたにもかかわらず、ほとんどの人がマレー語会話に不自由しなかったという。文字に関しても、マレー語をアラビア文字で表記しようとして生まれたジャウィ文字(バハサ・ジャーウィー)が用いられ、法典や布告(ウンダン・ウンダン)、交易関係の通信や契約文書、条約、外交文書はもとより、年代記(スジャラ)・王統記(スィルスィラ)・系譜、宗教書(キターブ)、物語などその他さまざまな著作がなされた。その点では、今も東南アジアの各地で熱心に信仰されるイスラーム教とならんで、マラッカ王国の遺産を今日に伝える重要な役割を果たしたといえるのである。
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