ジョホール州への展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 12:53 UTC 版)
機関の幹部である安達孝大尉と近藤次男大尉は、機関の工作隊の展開を担当し、機関員約50名がジョホール州に商社の駐在員や警察分署長を装って展開、共産軍や地元の抗日分子と接触して動向把握・宥和工作を行っており、これに続いてスマトラの北端アチェ州にも展開を予定していた。 ジョホール・バルには機関のジョホール州で最大の拠点となる要員訓練所兼通信基地があった。連合軍が攻めてきた場合、シンガポール島は土地が狭く住民の大半が中国系であるためゲリラ戦は困難とみた茨木少佐は、ジョホールの山中で長期間抵抗する計画を立て、終戦直前の1945年8月初旬に機関本部をジョホール州に移転し、謀略機材や食糧を送り込もうとしたが、その途中で終戦となった。
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