ジョホール王国による統治と放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:06 UTC 版)
「シンガポールの歴史」の記事における「ジョホール王国による統治と放棄」の解説
マラッカ王国は1511年にポルトガルの侵攻を受け滅亡しポルトガル領マラッカ(英語版)が成立する。生き残ったマラッカ王国の王族は、マレー半島南部のジョホールに逃れ、ジョホール王国を建国した。シンガプーラはそのジョホール王国の一部となり、16世紀後半には、ジョホール王国の高官が拠点とした。しかし1613年、ポルトガルはシンガポール川の河口にある交易基地を焼き払う。この結果シンガポールは放棄され、この後約200年もの間、忘れられる事となった。 1641年、オランダとジョホール王国が協力してポルトガル領マラッカを攻撃し、オランダ領マラッカ(英語版)が成立し、マラッカ海峡の香辛料貿易はオランダが独占することになり、ポルトガルの覇権は終わった。
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