グローバル経済史
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「ケネス・ポメランツ」の記事における「グローバル経済史」の解説
グローバル経済史の研究においては、通常の人々の生活の歴史と、地球規模の貿易史を融合させることを意図した。この方法論にもとづいてポメランツは歴史学者スティーヴン・トピックとの共著で『グローバル経済の誕生』(2006年)を発表した。 世界貿易について、ポメランツとトピックは次の3点を強調する。 市場(マーケット)は自然に発生するものではなく、歴史上のある時点で永続するような形で出現した。市場が多くの人々に有害であっても、消し去ったり、意図的に作り出せるものではない。 文化の流れは受容したいと望む人々によって作られる。文化を受け入れる人々と、拒否する人々の間には大きな差異が生まれる。文化を橋渡しする人々は利益を手にするが、自分たちの文化が世界で通用しないと知った人々は不満を抱き、暴力的に市場を作り出そうとする。植民地主義や門戸開放政策はこれに属する。 特定の文化に対するこだわりによって制度や信仰が掲載されている地域がある。こうした地域はグローバルな世界の前段階にあるのではなく、それ自体が重要な単位であり、現代経済において地域の文化や伝統の役割は大きくなっている。 ポメランツとトピックは、経済史について次のような指摘をしている。 近代ヨーロッパの経済発展にとって、アフリカでの奴隷貿易が決定的な役割を果たした。アフリカにおける奴隷は財産でありつつも人としての権利を付与されていたが、ヨーロッパは奴隷を純粋な動産として扱った。この暴力が容認されることでアフリカ、アメリカ、ヨーロッパの三角貿易が大きな利益となった。 世界初の近代的な工場は、ヨーロッパの植民地である西インド諸島の砂糖工場だった。プランテーションで栽培したサトウキビを砂糖にするために粉砕・煮沸・蒸留などの精製過程が厳密に管理され、専従工程を担当する奴隷によって作られた。 産業革命の象徴でもあるイギリスの綿製品は、アメリカ大陸の植民地によって成立した。綿花栽培は大量の水をはじめとして土地への負担が大きいため、プランテーションから綿花を輸入しなければ綿製品の大量生産は不可能だった。 需要と供給は、市場の力ではなく人々の価値観を規定する文化によって決定される。しばしば現代人は論理的であり昔の人々は非論理的と思われがちだが、現代人も奇怪な行動をとっている。 世界経済はモラルとは関係がない。歴史的に多くの利益を生んできたのは、人間の生存にとって有益な食料や必需品よりも奴隷貿易、海賊行為、麻薬などだった。 多数派や機関が価値があると認めた社会的・政治的・経済的な成功を収めた人間が「成功者」として評価されているが、上述のように世界経済はモラルと無関係であり、成功者は美徳・努力・賢明さとは関係がない。 グローバル経済の前提として、標準化と非人格化が必要だった。商品としての時間、交換手段としての貨幣、全てが計測可能だとする思想、私的所有権、株式会社や商標登録などの概念が共有されてはじめて可能となった。 これらの指摘を通して、ポメランツやトピックは格差や暴力を解決するための展望の必要性を訴えている。
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グローバル経済史
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フェルナン・ブローデルの『地中海』や従属理論を受けて、イマニュエル・ウォーラーステインは世界資本主義論・世界システム論を構築、その後グローバル経済史研究は格段に進展した。日本の研究者としては、世界システム論を日本に紹介した川北稔や山下範久、海洋史観を唱える川勝平太らがいる。世界資本主義論はウォーラーステイン以前に河野健二や岩田弘によって考案されていた。
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