グレート・ジンバブエの歴史とは? わかりやすく解説

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グレート・ジンバブエの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:09 UTC 版)

グレート・ジンバブエ遺跡」の記事における「グレート・ジンバブエの歴史」の解説

グレート・ジンバブェ遺跡居住始まったのは、紀元前2500年ごろからで、「アクロポリス」西方集落築かれた。そのころ、グレート・ジンバブェの南方リンポポ川中流とその支流シャシ川の合流地点にもショナ人による集落形成され、それは大きく発展して575年ごろ有力な支配者現れてマプングウエの柳葉状の丘に石造建造物築いた。マプングウエは、周囲9haほどの「都市」となり、金の中継貿易繁栄し研究者は、リンポポ川中流域支配する人口12000~15000人規模の「マプングウエ国」という小王国を想定している。グレート・ジンバブエは、650年ごろ、石壁をもつ建造物造りはじめる。 一方この頃リンポポ川流域は、旱魃みまわれイスラム商人たちは、より北方サビ流域交易ルート開発し、マプングウエはこのことによって急速に衰退することになる。一方サビ川上流にあるグレート・ジンバブエは、これを契機大発展することになったジンバブエ高原南西部の金の産地インド洋沿岸を結ぶ直線上に位置したグレート・ジンバブエは、リンポポ川流域経由するよりはるかに便利な立地にあった標高1000mの立地は、谷間のマプングウエにくらべ、眠り病病源体を媒介するツェツェバエ生息域からはずれ、多少起伏は、牛の移牧にも適していた。また、高原とリンポポ河谷接点という立地は、比較にも恵まれ農業を行うにも適していた。グレート・ジンバブエ人々栽培して食糧にしていたのは、モロコシアワシコクビエトウジンビエエンドウ、豆の一種で、ピーナッツのように地下に豆をつくるバンバラマメなどであったインド洋との交易ルート中継地を握ったグレート・ジンバブエは、9世紀頃から発展し、グレートエンクロージャーをはじめとする大多数建造物はこの時期建てられたと考えられるこのころ人口7000世帯人口35000人に達した推定されている。「グレート・ジンバブエ国」の「王」は、遠隔地交易と金加工業保護し遺跡からは、鉄製品として二股ゴング日用的な道具の鋤やスプーン多量鉄くずアフリカ中央部広域わたって使用され十字ないし×状の銅製品を造るための滑石鋳型儀礼槍先などの銅製品、綿布生産使用され石製紡錘車土器片を転用し円板金細工ガラスビーズタンザニアキルワ鋳造され金貨中国の元、明代陶磁器などの出土品当時グレート・ジンバブエさかんな交易産業の発展物語っている。十字型銅製品は北方ザンベジ川中流以北一種通貨のように用いられいたもので、鉄製二股ゴングは、西アフリカで「神聖王」の権威を表すものであってグレート・ジンバブエの王の権力経済力象徴であった。 しかし、発展拡大衰退の要因表裏一体であった農業の展開と人口集中は、燃料石造建築物内部を補う建築材料としての木材大量伐採もたらし遠方まで行かない木材確保おぼつかなくなることになった。さらに、栽培移牧繰り返しは、それほど地力のないサバンナ土壌疲弊させた。そのため耕地は、都市中心部からますます遠ざかることになった。さらにより北側交易ルート開発追い討ちをかけた。モザンビークソファラ沿岸は、海岸浸食によって良港失ったまた、サビ川の河口土砂の堆積によってふさがりつつあったため、イスラム商人は、より北側ザンベジ川流域集落ジンバブエ高原北東部の金の取引をするようになった。このことは、グレート・ジンバブエ経済深刻な打撃与え建築材木材放射性炭素年代測定から判明したように、15世紀後半頃に一定規模気候変化旱魃飢饉等のなんらかの天災がおき、グレート・ジンバブエ放棄されたと考えられている。そして15世紀中頃から16世紀にかけて、ザンベジ川中流域モノモタパ王国ショナ語で「ムニュムタパ」)、ジンバブエ西方、現ブラワヨ近郊カミ遺跡首都としたトルワ王国台頭することになる。

※この「グレート・ジンバブエの歴史」の解説は、「グレート・ジンバブエ遺跡」の解説の一部です。
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