グレイホークの非公式情報源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 10:11 UTC 版)
「グレイホーク」の記事における「グレイホークの非公式情報源」の解説
TSRとWotCは、1980年に最初のフォリオ版が出版されて以来、「ワールド・オブ・グレイホーク」の公式の権利をそれぞれ順番に所有していたが、その初期の開発に最も関与した2人の人々、ゲイリー・ガイギャックスとロブ・クンツはそれにも関わらず、グレイホーク城の下にある50階層のダンジョンに関するオリジナルなメモの大半を所有していた。 ガイギャックスは同じくグレイホーク市の彼の古い地図を持っており、そしてまだゴード・ザ・ローグ(英語版)の権利を所有していた。 ガイギャックスが1985年にTSRを去った後、彼は少数の「ゴード・ザ・ローグ」の小説を執筆し、それらはニュー・インフィニティーズ・プロダクションズ社によって出版された。「シー・オブ・デス」(1987年)、「シティ・オブ・ホークス」(1987年)、「カム・エンドレス・ダークネス」(1988年)。しかしながら、この時までにガイギャックスは、TSRが「彼の」世界に対して取った新たな方向性に激怒した。彼の古き世界オアースは死んだ、と作家として宣言し、グレイホークの諸々との完全な断絶を望み、ガイギャックスは彼の版のオアースを最後の「ゴード・ザ・ローグ」の小説、「ダンス・オブ・デーモンズ」で破滅させた。以降15年間、彼は別のゲームシステムを開発することに取り組んだ。しかし、グレイホーク城の下のダンジョンが未刊であるという問題があった。ガイギャックスは自分の雑誌コラムや記事で、そのダンジョンを垣間見せたことはあったが、ダンジョン自体を一般人に公開したことは一度もなかった。同じく、ガイギャックス版のグレイホーク市は一度も出版されたことがないが、フランク・メンツァーはその理由を以下のように思ったと語った。「グレイホーク市は(首都であるにも関わらず)後に発展したものであり、本来は場所だけの存在であった。そのようなものとして、それは充分に肉付けされなかった...特定の場所と悪名高いNPCの記載された非常に簡潔、あるいは逆にいえばかなりずさんな略地図であった。これが恐らく、ガイギャックスがなぜそれを出版しなかったのかという理由である。それは決して完成されたことがないのだ」。 しかしながら2003年に、ガイギャックスは、この計画はダンジョンズ&ドラゴンズではなく、キャッスルズ・アンド・クルセイダーズ(英語版)のルールを使用するのではあるが、彼がロブ・クンツと共に、本来の城と市を6巻組で出版することに取り組んでいると発表した。WotCがまだグレイホークの名称の権利を所有していたため、ガイギャックスは城の名称を「ザギグ城」(ガイギャックスの逆読みの異形同音異義語で、本来は彼の最初の13階層ダンジョンを作った狂える建築家の名前)に変更した。ガイギャックスは同じく、隣接する都市の名称を「イッグスバーグ(Yggsburgh)」―彼のイニシャルE.G.G.を基にした言葉遊び―に変更した。 この計画は、ガイギャックスとクンツが想定していたより、非常に多くの作業が必要であることが判明した。ガイギャックスとクンツが元々のホーム・キャンペーンへの取り組みをやめた時までに、城のダンジョンは50階層もの迷路のような通路と幾千もの部屋と罠を含んでいた。それにイッグスバーグ市と、城や街の周囲の遭遇地域の図面と解説まで加えると、提案された6巻組に収めきれないことが判明した。ガイギャックスは、彼の元々の13階層ダンジョンに類似したものを再現し、バインダーと箱からかき集めた古いメモから収集することのできる、最高のものを付加することに決めた。しかしながら、ガイギャックスとクンツのいずれも、注意深いか、あるいは大局的な計画を守っていなかった。なぜならば、彼らはしばしばゲーム・セッション中に進行に応じて詳細を作り上げ、大抵プレイするにつれてすばやく地図を書き、それにモンスター、財宝、罠に関する大雑把なメモをするだけであった。これらの大雑把な地図は、それぞれの長所を見定めた後で、彼らそれぞれの取り組みを結合させることができるように、ちょうど充分な詳細だけが残された。同様に、市を再現することは難しい課題であった。ガイギャックスは本来の市に関する自作の古い地図をまだ所有していたが、彼が市に関して以前に出版した作品の権利はWotCが所有しており、従って彼は市の大部分を、自分の本来の市の外見と雰囲気を維持したまま、ゼロから作り上げねばならないであろう。 ゆっくりとした骨の折れる工程は、2004年の4月にガイギャックスが重篤な脳梗塞を発症したため、完全に停止した。7か月に及ぶ回復期の後、彼は仕事に復帰したが、彼の作業時間は1日に14時間から、1日に1~2時間に減少させられた。クンツは他のプロジェクトがあったため撤退せざるを得なかったが、彼は最初の本と同時に出版されるであろう冒険モジュールへの取り組みは継続した。 このような状況下では、ザギグ城計画の作業はさらにゆっくりと継続することとなったが、ガイギャックスに手を貸すためにジェフリー・タラニアンが参加した。2005年、トロール・ロード・ゲームズ(英語版)が「キャッスル・ザギグ:イッグスバーグ」の1巻を出版した。この256ページのハードカバー本は、ガイギャックスの本来の市の詳細、名士達と政治、市外での30以上の遭遇が掲載されていた。その地域の2枚の折りたたみ地図は、ダーリーン・ペクル(「ワールド・オブ・グレイホーク」フォリオ版のオリジナル地図を作成した芸術家)によって描写された。その年遅くに、トロール・ロード・ゲームズは同じく、ロブ・クンツによってイッグスバーグ・セッティングのために執筆された冒険モジュール、「キャッスル・ザギグ:ダーク・シャトー」を出版した。 2005年のカタログには、このシリーズのいくつかの巻が間もなく発売されると掲載されていたが、それは2008年に第2巻の「キャッスル・ザギグ:ジ・アッパー・ワークス」が発売されるまで果たされなかった。「ジ・アッパー・ワークス」は城の地上部分の詳細を記述しており、続いて出版されるであろう、実際のダンジョンに関する数巻の発売を焦らす役割を果たした。しかしながら、ガイギャックスは更なる巻を出版する前に、2008年3月に亡くなった。彼の死後、ゲイリーの未亡人であるゲイルが管理するガイギャックス・ゲームズがこの計画を引き継いだが、「キャッスル・ザギグ」計画のそれ以降の巻は出版されていない。 ロブ・クンツは同じく、グレイホーク城ダンジョンから独創的な作品をいくつか出版した。2008年、彼は2つの冒険モジュール「ザ・リビング・ルーム」、巨大な家具の置かれた風変わりだが危険な部屋に関するシナリオと、「ボトル・シティ」、ダンジョンの2層目で発見された都市全体が収容されたビンに関するシナリオを発売した。2009年、クンツは「デモニック&アーケイン」、グレイホークの収集品、「カリブルーン」、マジックアイテム、「ザ・ストーク」、野外冒険、を発売した。2010年10月、ブラック・ブレード・パブリッシングは、クンツの独自のグレイホーク・ダンジョンの階層のいくつか、機械階層、寒冷階層、ジャイアントのビリヤード場、植物使いの庭園などを出版すると発表した。
※この「グレイホークの非公式情報源」の解説は、「グレイホーク」の解説の一部です。
「グレイホークの非公式情報源」を含む「グレイホーク」の記事については、「グレイホーク」の概要を参照ください。
- グレイホークの非公式情報源のページへのリンク