グレイホーク戦争
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ナビゲーションに移動 検索に移動- この記事はこれらの事象に基づいたウォーゲームのための、架空の戦争について言及する。グレイホーク・ウォーズを参照せよ。
ダンジョンズ&ドラゴンズ ・ファンタジー・ロールプレイングゲームのためのワールド・オブ・グレイホーク ・キャンペーンセッティングにおいて、グレイホーク戦争(Greyhawk Wars)はCY582年から584年までの間、フラネス全土で猛威を振るった。
経過
最初の戦争行為は悪の半神であるアイウーズによって引き起こされたが、機会主義の国々が紛争を自身の目的を推進するために利用するにつれて、急速にフラネス全土に拡大された。この紛争によりオーク帝国ポマージの統一と拡張、過去の栄光を取り戻すための大王国による必死の試みが惹起された。
戦争はCY584年にグレイホーク自由都市において停戦協定が締結された時を以って終了し、その結果、戦争の名称はこの都市の名にちなんで名付けられた。
出版
1980年代後期、ダンジョンズ&ドラゴンズ の発行元であるTSR社はグレイホーク製品ラインの売上げ下落に失望していた。それ故にTSRはグレイホーク関連製品に対する顧客の関心と売上げを回復させるために、このセッティングに大幅な変更を加えることを決定した。グレイホーク戦争はTSRのゲームクリエイター―主にカール・サージェント―がこのセッティングを新たな方向に向けることを可能にするための、ゲーム設定上のきっかけであった。グレイホーク戦争に至るまでのストーリー展開は、1991年発売のアドベンチャー・モジュールであるWGS1 ファイブ・シャル・ビー・ワン [1]とWGS2 ハウル・フロム・ザ・ノース [2]が担った。これらのモジュールは、ダンジョンマスターがこの戦争を引き起こすこととなる事件にプレイヤー達を巻き込めるようにすることを意図して作成された。TSRは、グレイホーク・ウォーズ・アドベンチャラーズ・ブックでこの戦争の経過を発表し、この冊子は1991年発売のボードゲームであるグレイホーク・ウォーズ (デイヴィッド・クック)に収録されていた。このボードゲームはプレイヤーが他のプレイヤーと競って、グレイホーク世界の数々の政体、戦闘部隊、英雄を動かして戦略シミュレーションとしてグレイホーク戦争の事象をプレイすることができた。
その一方、ゲームデザイナーであるカール・サージェントはワールド・オブ・グレイホーク・キャンペーンセッティング全体に対する重要な更新に取り組んでいた。これは1992年にフロム・ジ・アッシュズ という名のボックスセットとして出版された。このボックスセットではグレイホーク戦争の余波がフラネスに与えた状況を詳細に解説した。1993年にはフロム・ジ・アッシュズ に続いて、更新後のセッティングに関して追加情報を提供する一連の資料集やモジュール―WGR4 ザ・マークランズ [3]、WGR5 アイウーズ・ジ・イーヴル [4]、WGR6 シティ・オブ・スカルズ [5]―が発売された。
サージェントによる戦後の資料の基調は、戦前のTSRの出版物に比して意図的により暗鬱かつ残酷な状態に変更された。これらの変更はグレイホーク・セッティングのファンに様々な反発を引き起こし、そのため売上げは十分に回復せず、TSRがグレイホークの製品ラインを1993年末に停止させる原因となった。
脚注
- ^ カール・サージェント (1991年). Five Shall Be One. WGS1. TSR社. ISBN 1-56076-070-2. 9317xxx1501.
- ^ デイル・「スレード」・ヘンソン (1991年). Howl From the North. WGS2. TSR社. ISBN 1-56076-143-1. 9337XXX1401.
- ^ カール・サージェント (1993年). The Marklands. WGR4. TSR社. ISBN 1-56076-559-3. 9398XXX1501.
- ^ カール・サージェント (1993年). Iuz the Evil. WGR5. TSR社. 9399.
- ^ カール・サージェント (1993年). The City of Skulls. WGR6. TSR社. ISBN 1-56076-608-5. 9405XXX1501.
追加文献
- デイヴィッド・「ゼブ」・クック。「History of the Greyhawk Wars」。グレイホーク・ウォーズ (TSR、1991年)。オンラインで利用可能:[1]
- ゲイリー・ホリアン、エリック・モナ、ショーン・K・レイノルズ、フレデリック・ワイニング。リビング・グレイホーク・ガゼティア (ウィザーズ・オブ・ザ・コースト、2000年)。
- ロジャー・E・ムーア。グレイホーク:ジ・アドベンチャー・ビギンズ (TSR、1998年)。
外部リンク
グレイホーク戦争
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プレイヤー達を、なじみ深いガイギャックスの「ワールド・オブ・グレイホーク」から自分達の新たな構想に移行させるために、TSRはプレイヤーを来たるべき戦争への道を辿って出来事と状況に精通させ、それからその戦争自体に彼らを引き込むであろう、3部作のモジュールを計画した。プレイヤーがいったん3つのモジュールを通じて戦争を終えたら、新たなボックスセットが出版され、新たなストーリー展開と新たなフラネスが導入されるのである。2つの「ワールド・オブ・グレイホーク・ソーズ」モジュールであるWGS1 ファイブ・シャル・ビー・ワン(英語版)はカール・サージェントに執筆され、WGS2 ハウル・フロム・ザ・ノース(英語版)はデイル・ヘンソンに執筆されて、1991年に出版された。これらのモジュールは、種々の出来事が戦争への道を辿らせていることを描写していた。 3つ目のモジュールはグレイホーク・ウォーズ(英語版)という戦略ウォーゲームに作り替えられ、実際の戦争での出来事、戦略、同盟を通じてプレイヤーを導く。このゲームに付属している小冊子、「グレイホーク・ウォーズ・アドベンチャラーズブック」は、この戦争における出来事を解説していた。CY582年(ガイギャックスの元々の設定であるCY576年の6年後)に、アイウーズによって開始された地域紛争は次第に広範囲に広がり、フラネスのほとんど全ての国々に及ぶ戦争となった。平和条約が2年後にグレイホーク市で締結され、それがこの戦争が「グレイホーク戦争」と呼ばれるようになった理由である。条約調印の日に、レアリー(かつてブライアン・ブルームによって作成され、廃棄されたあまり重要でない術者であったが、今やTSRによって八者の円の一員にまで引き上げられていた)はロビラーに幇助されて自分の仲間である円の構成員達を攻撃した。攻撃の後、テンサーとオティルーク(英語版)は死亡しており、他方ロビラーとレアリーはブライト・ランド(英語版)の砂漠に逃亡した。ロブ・クンツ(ロビラーの本来の作成者)は、ロビラーが彼の古い冒険仲間であるモルデンカイネンを決して攻撃しないであろうと信じ、この筋書きに異議を唱えた。クンツはロビラーの著作権を持っておらず既にTSRの社員でもなかったが、彼はロビラーが別の次元界を訪問しており不在の間に、クローンかロビラーの邪悪な双子が攻撃を行ったことにしたらどうか、という代替案を非公式に提案した。
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