ウィリアムズ・FW27
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 09:44 UTC 版)
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2005年カナダGPでのFW27 ニック・ハイドフェルドがドライブ |
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カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ウィリアムズ | ||||||||||
デザイナー | サム・マイケル (テクニカルディレクター) ロイック・ビゴワ |
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先代 | ウィリアムズ・FW26 | ||||||||||
後継 | ウィリアムズ・FW28 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
エンジン | BMW P84/5 | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | BMW ウィリアムズ F1チーム | ||||||||||
ドライバー | マーク・ウェバー ニック・ハイドフェルド アントニオ・ピッツォニア |
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出走時期 | 2005年 | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
通算獲得ポイント | 66 | ||||||||||
初戦 | 2005年オーストラリアGP | ||||||||||
最終戦 | 2005年中国GP | ||||||||||
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ウィリアムズFW27 (Williams FW27) は、ウィリアムズが2005年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、サム・マイケルとロイック・ビゴワが設計した。2005年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。
FW27
デザイン部門の顔であったパトリック・ヘッドがテクニカルディレクターを辞し、後任のサム・マイケルがFW27開発の責任者となった。
エアロダイナミクス面ではFW26の後期型を踏襲しているが、フロントノーズはより高く薄くなっているほか、サイドポンツーンもこれまでのマシンの中では最小といわれるほど小型化を果たした。その代償で排熱が厳しくなったため、かなり大き目のチムニーダクトが装着された。そのチムニーの後にはウイングレットが装着されている。
リヤサスペンションはFW26を踏襲しているが、フロントサスペンションが特徴的なツインキールからFW25までと同様のシングルキール方式に戻された。
当初、BMWは2005年用のエンジンとしてP85を開発していたが、2004年の途中で発表された「2グランプリ1エンジン」規則に対応できないことがわかり、FW26で使用されたP84をベースにP85のパーツを使用し、耐久性をもたせたP84/5を開発した。
開幕戦から大量の新規パーツを投入。第2戦でバージボードを装着。また、第3戦ではエンジンカウルが新型化された。第10戦でサイドポンツーンがモディファイされ、第14戦から新型フロントウイングが投入された。終盤の第18戦には、ルノー R25で実戦投入された2段式のフロントウイングも使用された。
2005年シーズン
ドライバーは2名とも交代し、新たにマーク・ウェバーとニック・ハイドフェルドが加入した。
第2戦でハイドフェルドが3位を、第6戦モナコGPで2-3フィニッシュ。第7戦ではハイドフェルドが初ポールポジションから2位表彰台を獲得。このシーズンはこの4回しか表彰台に上ることができず、コンストラクターズランキングも5位に落ちた。
ハイドフェルドは、第14戦終了後のイタリアモンツァ合同テスト時のクラッシュでイタリアGPとベルギーGPの欠場を発表。その後のブラジルGPからの復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局2005年シーズンは復帰できなかった。この間の代役はテストドライバーのアントニオ・ピッツォニアが務めた。
シーズン途中でBMWがザウバーを買収して2006年からBMWザウバーとして参戦することを決定。マシンの開発も滞り気味となってしまった。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 FW27
- 前トレッド 許容最大値
- 後トレッド 許容最大値
- クラッチ AP
- ブレーキキャリパー AP
- ブレーキディスク・パッド カーボンインダストリー
- ホイール O・Z
- タイヤ ミシュラン
- ギヤボックス 7速セミオートマチック/アルミニウム製ケーシング
エンジン

- エンジン名 BMW P84/5
- 気筒数・角度 V型10気筒・90度
- 排気量 2,998cc
- バルブ 4バルブ/ニューマチック式
- エンジンブロック アルミニウム製
- シリンダーヘッド アルミニウム製
- クランクシャフト スチール製
- スパークプラグ NGK
- オイルシステム ドライサンプ
- 燃料 ペトロブラス
- 潤滑油 カストロール
- イグニッション BMW
- インジェクション BMW
記録
年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | ポイント | ランキング |
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AUS![]() |
MAL![]() |
BHR![]() |
SMR![]() |
ESP![]() |
MON![]() |
EUR![]() |
CAN![]() |
USA![]() |
FRA![]() |
GBR![]() |
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HUN![]() |
TUR![]() |
ITA![]() |
BEL![]() |
BRA![]() |
JPN![]() |
CHN![]() |
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2005 | 7 | ![]() |
5 | Ret | 6 | 7 | 6 | 3 | Ret | 5 | DNS | 12 | 11 | NC | 7 | Ret | 14 | 4 | NC | 4 | 7 | 66 | 5位 |
8 | ![]() |
Ret | 3 | Ret | 6 | 10 | 2 | 2 | Ret | DNS | 14 | 12 | 11 | 6 | Ret | INJ | INJ | INJ | INJ | INJ | |||
![]() |
7 | 15 | Ret | Ret | 13 |
2005年-2006年シーズンオフ
2006年は新たにコスワースのCA2006エンジンを搭載することが決まっていたため、FW28が完成するまでの間にFW28用のエンジンとギヤボックスを搭載したFW27Cが製作され、テストで使用された。カラーリングはフランク・ウィリアムズがピアス・カレッジと共にF1に参戦をした1969年当時のカラーリングをモチーフにしたものに変更された。
脚注
「ウィリアムズ FW27」の例文・使い方・用例・文例
- ウィリアムズ師
- きのうウィリアムズさんとかいう人が訪ねてきました。
- 自分の英語力をウィリアムズさんを相手にして試してみた.
- 彼は、ウィリアムズのヒットのためにはるばるやってきた
- テッドウィリアムズには、かつて打率が.400を上回っていた
- 浅越選手は,5月30日,パリのローランギャロスでの4回戦で,2002年の全仏オープン優勝者である米国のセリーナ・ウィリアムズ選手と対戦した。
- ビーナス・ウィリアムズ選手とロジャー・フェデラー選手がウィンブルドンで優勝
- 7月2日,ウィンブルドン選手権女子シングルス決勝が,ともに米国出身のリンゼイ・ダベンポート選手とビーナス・ウィリアムズ選手との間で行われた。
- ウィリアムズ選手は第14シードだったが,第1シードのダベンポート選手を4-6,7-6,9-7で破り,ウィンブルドンのシングルスで3度目のタイトルを手にした。
- ウィリアムズ選手は,1968年に同大会がすべての選手に開放されて(オープン化されて)以降,最も低いシードから優勝した選手となった。
- ウィリアムズ選手は立て続けに9ポイントを奪って反撃したが,ダベンポート選手がそのセットを取った。
- ウィリアムズ選手は,タイブレークの末,第2セットを取った。
- 接戦だったが,最終的にウィリアムズ選手がそのセットを9-7で奪い,試合にも勝った。
- ウィリアムズ選手はインタビューで「とても興奮している。厳しい試合だった。足を動かし続け,活力を維持し,できるだけ積極的にいくよう努めた。」と話した。
- インディはマット・ウィリアムズという名の若者(シャイア・ラブーフ)に出会う。
- ウィリアムズ・トヨタの中(なか)嶋(じま)一(かず)貴(き)選手はこのレース唯一の日本人ドライバーだった。
- 1月30日,杉山愛選手とスロバキアのダニエラ・ハンチュコバ選手は女子ダブルス決勝で米国のセリーナ・ウィリアムズ,ビーナス・ウィリアムズ姉妹と対戦した。
- 3回戦でクルム伊達選手は,第1シードで前回優勝者のセリーナ・ウィリアムズ選手と対戦した。
- クルム伊達選手はウィリアムズ選手にストレート負けして,ベスト16に到達できなかった。
- 突然,この博物館のセオドア・ルーズベルトの蝋(ろう)人形(ロビン・ウィリアムズ)や他の展示物が暴走し,パーティーは大混乱になってしまう。
固有名詞の分類
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