インテル・ミラノ時代
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2011年1月31日、移籍金約2億円でチェゼーナへ完全移籍し、さらに冬の移籍市場の最終日となった同日、ダビデ・サントンとのトレードで、インテルへのシーズン終了までのレンタルが決定した。背番号は55番。2月6日、セリエA第24節ローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグのバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し、地元紙から高評価を得たものの、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。 2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表された。12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日のレッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。 2012年10月7日のセリエA第7節ACミランとのミラノダービーで2枚のイエローカードを受け、自身初の退場処分となった。12月9日に行われたセリエA第16節ナポリ戦でイタリアでの公式戦100試合出場を果たした。2013年1月にはレアル・マドリードへの移籍が噂されたがインテルでのパフォーマンスに集中したいとコメントし、クラブへの残留を強調した。2013年2月25日、第26節のミラノダービーで同点ゴールをアシストするも直後に左膝を負傷し途中退場。以後、出場から遠ざかり4月14日の第32節カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷と診断され手術が必要とされたが、保存療法を選択することで手術を回避し、シーズン終盤に復帰を果たした。 2013年8月27日の2013-14シーズンのセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点を挙げ、第2節のカターニャ戦でもヘディングシュートを決め、2試合連続ゴール。得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレーを繰り返した。同年12月22日のミラン戦において、後半に交代でピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマークを受け継ぎ、移籍4シーズン目にして初めてゲームキャプテンを任された。この年、アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞に選出された。2013-14シーズンはシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシストを記録するなど攻撃面でも大きな向上を見せたが、チームは2年連続でCL出場権を逃した。 2014年のFIFAワールドカップではグループリーグ全試合にフル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシストしたが、自身の背後のスペースを狙われて左サイドで数的不利の状況を作られ連続失点。走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど死力を尽くしたが、2戦目・3戦目での攻撃参加は得点に結びつかずグループリーグ敗退に終わった。 2014-15シーズン、インテルの副主将に就任。2015年1月開催のAFCアジアカップでは準々決勝UAE戦で右太もも肉離れを起こし、日本代表もここで敗退。同大会後、初の先発出場となった同年2月のパレルモ戦でも右太ももを痛め、長期離脱。これが、長友にとってシーズン4度目の故障となった。5月のラツィオ戦から戦列復帰。 2015-16シーズン当初は、サイドバックの補強が進められたために長友は余剰人員となりサイドバックでのポジション争いにすら参加できず一時は売却対象となった。イタリア国内外から複数のオファーが寄せられたが、インテル残留を希望し移籍を拒否。残留は叶ったものの、途中出場した第2節カルピ戦で失点に絡むミスをしたことも重なり苦しい立場は続き第3節から第8節までは出場機会なし。しかし、放出確実と目される中でもコンディション作りを怠ることなく、約2ヶ月ぶりの出場、シーズン初先発となった第9節パレルモ戦では気持ちの入ったプレーで好アピール。第11節ローマ戦でも守備に冴えを見せ、復権に成功した。クラブからは契約の更新を打診され、2016年4月に2019年6月末までの契約延長を発表。同年にはマンチェスター・ユナイテッドFC、リヴァプールFCからのオファーが届いたが、インテルでのプレーを希望し拒否した事をクラブの公式サイトで明かした。 2017年4月15日、第32節のACミランではミラノダービーでフル出場を果たした。シーズン終了後には移籍の噂も報道されたが、残留した。 2017-18シーズン、9月17日に行われた第4節のFCクロトーネ戦で途中出場し、インテル通算200試合を達成した。シーズン序盤はレギュラーの座を確保していたが、11月19日のアタランタBC戦以降はダビデ・サントンや新加入のダウベルト、ジョアン・カンセロなどとポジション争いを繰り広げている。 2017年11月10日の国際親善試合ブラジル戦で日本代表では7人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。
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インテル・ミラノ時代
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2018-19国籍選手名移籍金 セドリック・ソアレス レンタル移籍 2019-20国籍選手名移籍金 ディエゴ・ゴディン 自由移籍 ニコロ・バレッラ 3500万ユーロ ステファノ・センシ 2200万ユーロ ヴァレンティノ・ラザロ 2200万ユーロ ロメル・ルカク 7700万ユーロ アレクシス・サンチェス 自由移籍 クリスティアーノ・ビラーギ レンタル移籍 ビクター・モーゼス レンタル移籍 アシュリー・ヤング 自由移籍 クリスティアン・エリクセン 2000万ユーロ 2020-21国籍選手名移籍金 アクラフ・ハキミ 4000万ユーロ アレクサンダル・コラロヴ 150万ユーロ アルトゥーロ・ビダル 100万ユーロ マッテオ・ダルミアン 250万ユーロ 2021-22国籍選手名移籍金 ハカン・チャルハノール 自由移籍 エディン・ジェコ 自由移籍 デンゼル・ダンフリース 1250万ユーロ ホアキン・コレア レンタル移籍 ロビン・ゴセンス レンタル移籍 フェリペ・カイセド レンタル移籍 ※レンタル→完全移籍となった選手の移籍金はレンタル料込。
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