インテル・ミラノ時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > インテル・ミラノ時代の意味・解説 

インテル・ミラノ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:23 UTC 版)

長友佑都」の記事における「インテル・ミラノ時代」の解説

2011年1月31日移籍金約2億円でチェゼーナへ完全移籍し、さらに冬の移籍市場最終日となった同日ダビデ・サントンとのトレードで、インテルへのシーズン終了までのレンタル決定した背番号55番。2月6日セリエA24ローマ戦でインテルでのデビュー飾り3月6日第28節ジェノア戦にてセリエA得点決めた3月15日UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場果たしアウェーでの勝利貢献準々決勝では内田篤人所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決演じ2ndレグでは両チーム最長走行距離記録し地元紙から高評価得たものの、チームはここで敗退5月22日リーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた5月29日シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝パレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアで初タイトルを手にした。 2011-12シーズン始動となった7月1日5年契約インテルへの完全移籍発表された。12月10日の第15フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴール挙げ12月21日レッチェ戦では2アシスト活躍見せた2011-12シーズンインテル不振により、2度監督交代があり、交代当初起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した2012年10月7日セリエA第7節ACミランとのミラノダービー2枚イエローカードを受け、自身初の退場処分となった12月9日行われたセリエA16ナポリ戦でイタリアで公式戦100試合出場果たした2013年1月にはレアル・マドリードへの移籍噂されたがインテルでのパフォーマンス集中したいコメントしクラブへの残留強調した2013年2月25日、第26節のミラノダービー同点ゴールアシストする直後に左膝を負傷し途中退場以後出場から遠ざかり4月14日の第32カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷診断され手術が必要とされたが、保存療法選択することで手術回避しシーズン終盤復帰果たした2013年8月27日2013-14シーズンセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点挙げ第2節カターニャ戦でもヘディングシュート決め、2試合連続ゴール得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレー繰り返した同年12月22日ミラン戦において、後半交代ピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマーク受け継ぎ移籍4シーズン目にして初めゲームキャプテン任された。この年アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞選出された。2013-14シーズンシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシスト記録するなど攻撃面でも大きな向上を見せたが、チーム2年連続CL出場逃した2014年FIFAワールドカップではグループリーグ全試合フル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑先制ゴールアシストしたが、自身背後スペース狙われて左サイド数的不利の状況作られ連続失点走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど死力尽くしたが、2戦目・3戦目での攻撃参加得点に結びつかずグループリーグ敗退終わった2014-15シーズンインテル副主将就任2015年1月開催AFCアジアカップでは準々決勝UAE戦で右太もも肉離れ起こし日本代表もここで敗退同大会後、初の先発出場となった同年2月パレルモ戦でも右太もも痛め長期離脱。これが、長友にとってシーズン4度目の故障となった5月ラツィオ戦から戦列復帰2015-16シーズン当初は、サイドバック補強進められたために長友は余剰人員となりサイドバックでのポジション争いにすら参加できず一時売却対象となったイタリア国内外から複数オファー寄せられたが、インテル残留希望し移籍拒否残留叶ったものの、途中出場した第2節カルピ戦で失点に絡むミスをしたことも重なり苦し立場続き第3節から第8節までは出場機会なし。しかし、放出確実と目される中でもコンディション作り怠ることなく、約2ヶ月ぶりの出場シーズン先発となった第9節パレルモ戦では気持ち入ったプレーで好アピール。第11ローマ戦でも守備冴え見せ復権成功したクラブからは契約の更新打診され、2016年4月2019年6月末までの契約延長発表同年にはマンチェスター・ユナイテッドFCリヴァプールFCからのオファー届いたが、インテルでのプレー希望し拒否した事をクラブ公式サイト明かした2017年4月15日、第32節のACミランではミラノダービーフル出場果たしたシーズン終了後には移籍の噂も報道されたが、残留した2017-18シーズン9月17日行われた第4節FCクロトーネ戦で途中出場し、インテル通算200試合達成したシーズン序盤レギュラーの座を確保していたが、11月19日アタランタBC以降ダビデ・サントン新加入のダウベルト、ジョアン・カンセロなどとポジション争い繰り広げている。 2017年11月10日国際親善試合ブラジル戦で日本代表では7人目となる国際Aマッチ100試合出場達成

※この「インテル・ミラノ時代」の解説は、「長友佑都」の解説の一部です。
「インテル・ミラノ時代」を含む「長友佑都」の記事については、「長友佑都」の概要を参照ください。


インテル・ミラノ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:34 UTC 版)

ジュゼッペ・マロッタ」の記事における「インテル・ミラノ時代」の解説

2018-19国籍選手名移籍金 セドリック・ソアレス レンタル移籍 2019-20国籍選手名移籍金 ディエゴ・ゴディン 自由移籍 ニコロ・バレッラ 3500ユーロ ステファノ・センシ 2200ユーロ ヴァレンティノ・ラザロ 2200ユーロ ロメル・ルカク 7700ユーロ アレクシス・サンチェス 自由移籍 クリスティアーノ・ビラーギ レンタル移籍 ビクター・モーゼス レンタル移籍 アシュリー・ヤング 自由移籍 クリスティアン・エリクセン 2000ユーロ 2020-21国籍選手名移籍金 アクラフ・ハキミ 4000ユーロ アレクサンダル・コラロヴ 150ユーロ アルトゥーロ・ビダル 100万ユーロ マッテオ・ダルミアン 250ユーロ 2021-22国籍選手名移籍金 ハカン・チャルハノール 自由移籍 エディン・ジェコ 自由移籍 デンゼル・ダンフリース 1250ユーロ ホアキン・コレア レンタル移籍 ロビン・ゴセンス レンタル移籍 フェリペ・カイセド レンタル移籍レンタル→完全移籍となった選手移籍金レンタル料込。

※この「インテル・ミラノ時代」の解説は、「ジュゼッペ・マロッタ」の解説の一部です。
「インテル・ミラノ時代」を含む「ジュゼッペ・マロッタ」の記事については、「ジュゼッペ・マロッタ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「インテル・ミラノ時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「インテル・ミラノ時代」の関連用語

インテル・ミラノ時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



インテル・ミラノ時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの長友佑都 (改訂履歴)、ジュゼッペ・マロッタ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS