一夜孕み
『常陸国風土記』那賀の郡茨城の里哺時臥(くれふし)山 名も知らぬ男がヌカビメの所へ毎夜来て求婚する。ついに夫婦となって、一夜のうちにヌカビメは懐妊する。やがて月満ちて、ヌカビメは小さな蛇を産んだ→〔成長〕1c。
*ゼウスは、アルクメネとの一夜の交わりでヘラクレスをもうけた→〔双子〕6の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章。
★1b.神の性質を受け継いだ人間も、一度の交わりで子をなすことがある。
『うつほ物語』「俊蔭」 太政大臣の四男・15歳の若小君(後の右大将兼雅)は、賀茂詣での帰途、三条京極の廃邸にさびしく住む俊蔭女と一夜の契りを結ぶ。俊蔭女は、男児(仲忠)を身ごもる〔*翌朝帰宅した若小君は、父大臣から無断外泊を叱られ、以後1人歩きを禁ぜられたため、俊蔭女と再会するのは12年後になる〕。
『源氏物語』「若菜」下 光源氏の妻となった女三の宮を、柏木は数年来恋慕し続けていた。彼は、光源氏が六条院を留守にした時をねらって忍び入り、とうとう女三の宮と関係を結ぶ。その夜、柏木は猫の夢を見る〔*猫の夢は懐妊のしるしである〕。女三宮は、柏木との一夜の契りで身ごもった〔*やがて誕生した薫は、光源氏の子として育てられる〕。
『日光山縁起』下 有宇中将の息子・馬頭御前は、みちのくの朝日長者の侍女を一夜召し、男児を産ませた。男児は容貌が醜かったので、都へは上らず奥州の小野に住み、小野猿丸と名乗った。猿丸は弓の名手となり、後に大百足を退治した→〔百足〕2。
『冷泉家流伊勢物語抄』 在原業平は、伊勢斎宮との一夜の密会で子(高階師尚)をなした〔*『伊勢物語愚見抄』などに類話〕。
*ユーサー・ペンドラゴン王は、イグレインとの最初の夜にアーサーをもうけた→〔にせ花婿〕1bの『アーサーの死』(マロリー)第1巻第2章。
★2.神およびその直接の子孫でありながら、一夜で孕ませる力があることを忘れていることがある。
『古事記』上巻 アマテラスの孫ニニギノミコトは、高天原から地上に降り、笠紗の御埼で出会った美女コノハナノサクヤビメと結婚する。コノハナノサクヤビメはただ一夜で身ごもったので、ニニギノミコトは彼女を疑い、「それは我が子ではあるまい。国つ神の子であろう」と言う〔*『日本書紀』巻2に類話〕→〔火〕3a。
『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇元年(A.D.457)3月 雄略天皇が童女君(わらはきみ)と一夜をともにして生まれた女児を、天皇は「一夜で孕むとは思えぬ」と疑って、養育しなかった。物部目大連が「その夜何回お召しになったのか?」と問うと、雄略天皇は「7回」と答えた。物部目大連は「それならば妊娠して当然」と言い、天皇は納得して女児を皇女とし、母・童女君を妃とした。
『一夜かぎり』(モランデル) 貴族のブレーデ大佐は、移動遊園地の木馬係りの青年バルデマルを見て、その身の上を問う。バルデマルは、若き日のブレーデ大佐が場末の女歌手と一夜の関係を結んで、生まれた子供だった。独身で子供のないブレーデ大佐は、後見する娘エバとバルデマルを結婚させ、彼を跡継ぎにしたいと望む。しかしエバは、結婚前に身体を求めるバルデマルを受け入れることができず、バルデマルも自分と貴族階級の考え方の違いを悟り、移動遊園地に帰って行く。
『御所桜堀河夜討』「弁慶上使」 弁慶は書写山の稚児(鬼若丸)であった頃、一生にただ1度、女と関係を持った。女は弁慶と別れた後、女児(信夫=しのぶ)を産んだ。それから18年、平家滅亡の後、源頼朝が弟義経に、「叛逆心を持たぬ証拠として、汝の妻・卿の君(=平時忠の娘)の首を討って差し出せ」と命ずる。主君義経に忠義を尽くす弁慶は、偶然、我が娘・信夫と出会ったので、彼女を殺して、卿の君の身代わりとした。
『椿説弓張月』続篇巻之5第43回・残篇巻之3第63回 琉球の名家の娘だった阿公(くまきみ)は、若い頃、神道の奥義を極めるべく阿蘇神社に身を寄せていた。祭りの宵、彼女は、名も知らぬ若者に言い寄られて一夜の契りを結び、その後、琉球に帰って北谷の託女(みこ)となった。この時すでに身ごもっていた阿公は、ひそかに女児を産んで村里に棄てた。それから39年、阿公は知らずして、自分が産んだ娘を殺すことになった〔*若き日の阿公と一夜の契りを交わしたのは、八町礫(つぶて)の紀平治だった〕→〔生き肝〕4。
*『斜陽』(太宰治)の「私(かず子)」は、作家上原の子を産みたいと願い、一夜の交わりで望みどおり妊娠する→〔出産〕12。
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