どのような音楽であったかとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > どのような音楽であったかの意味・解説 

どのような音楽であったか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:05 UTC 版)

古代ギリシアの音楽」の記事における「どのような音楽であったか」の解説

ある場所でプラトンは「新し音楽」について次のように批判をしている。 「私たち音楽はかつて、確立され様式を持つ音楽そうでないものとに分かれた知識教養のある見識は、口笛群集ざわめき拍手のような無分別で非音楽的なものを禁じた静かに聴き知ろうとすること、これがルールだった。しかしその後音楽規律形式無知な詩人たちによって非音楽的な無秩序もたらされてしまった。彼らは、音楽には正しきこと、間違ったやり方などないと、自身欺いて言った。彼らは、音楽はそれがもたらす愉悦によって良し悪し判断されるべきだといった。彼らの言うところまた彼らの理論は、ずうずうしくしかるべき判断ができていると大衆思い込ませ、大衆悪影響与えている。だからわれわれ観客、つまりかつて静寂守っていたのに、時を経ておしゃべりになった、この音楽貴族芸術文化悪影響である。批評音楽でなく、デタラメ才知規律破壊する精神であり、名声のためのものである。」 ここでプラトンが言う「確立され様式」や「音楽規律ということばから、次のようなことが想像できる。[要出典]ピュタゴラス考えた音楽システム古代ギリシア定着していたこと。そして公共の場所でプロ音楽家によって演奏が行われていたということである。そういう状況にあってプラトンは「ピュタゴラス調和原理」が無分別な精神落ちぶれたことを嘆いたであろう。この「無法者」のなかにおそらくアリストクセノスAristoxenus4世紀)が含まれていた。彼はピュタゴラス重んじた数学的な音楽体系とは別のもの、つまり耳によって捉えた音楽理論考えていた。アリストクセノスは「私たちは、本質的直接的に"天球の音楽"を聴くことができない。ならば単純に多くの人にとって心地よい音楽演奏し歌えばいいではないか」と主張した。この単純な哲学は後の平均律考え支えた。また20世紀調性音楽無調音楽という2つ潮流分かれ出たことと比較することができるかもしれない[要出典]。 なんでもいいから心地よい音楽演奏するということはプラトン時代確立した様式エートス(=音楽道徳論→音楽には道徳的な側面があり、人間精神はこれに左右されるという考え)」を冒涜するものだった。これはつまり当時ギリシア人様々な音階様式にたいして感情的で、超自然的な特徴見出し、それらに関係した複雑な音楽体系つくりあげていた、ということ示している。古代ギリシア各地部族民族の名前から派生した様々な音階名(モード)はそれぞれの民族気質精神性あらわしている。例えドーリア音階荒々しくフリギア音階官能的…などである。プラトン別の場所で様々な音階例えドーリア式フリギア式(Phrygian mode)、リディア式(Lydian mode)などの様式の適切な使用法について述べている。しかし私たち現代人にとって短調悲しげ長調楽しげであるというような単純な区別除けばプラトン音楽対す考え理解しにくい[要出典]。 音階全音配置の仕方よって変化する例え現代ピアノ鍵盤上ではドとレ。また半音はドとドのシャープのように。現代西洋音楽相対的に少ない数の音階区別するに対して古代ギリシアでは全音音階半音階、さらに4分音階分けていた(4分音はピアノでは鍵盤鍵盤隙間存在することになる)。この細分化された古代ギリシア音階システムは、それぞれのエートスと結びついた幅広いレパートリー作り上げるために考案された。ここではたとえばオクターブ知覚5度協和音普遍的なのである少なくとも異な文化の間で幅広く共有されている)といったことは述べられていない。ある音階のある音の並び方が「自然に特定の感情個性人格対応するなどということについての決定的な証拠はない。また古代ギリシア音階対す考え方(またその音階名)がのちのローマ、そしてヨーロッパ中世音楽受け継がれ例えば「リディア教会旋法」などの名前が用いられても、それは単に歴史的な表面上のつながりであって、もともとの古代ギリシアの音楽とは関係がないうえ、特に古代ギリシア人音楽に対して抱いたエートス論」とは大きな隔たりがある[要出典]。 また今日少なくともプラトン以前古代ギリシア人聞いていた音楽もっぱらモノフォニックであった私たち考えていることに対してプラトンアリストクセノス、またのちのボエティウス書き残したものは警告している。従来音楽学では、古代文化進んだ和音システム持っておらず、ハーモニー調和のもとに複数の音を同時にならす)という技法中世ヨーロッパにおいて発明されたものだと考えられていた。しかし例えプラトン国家の中で、音楽家たちがひとつ以上の音を同時に演奏することについて述べている。しかしそれでもどうやら和音用いることは高度なテクニックであると考えられていたらしいオレステース断片においては明らかに複数の音についての指示がある。以上のことから、また歴史的な証拠から私たち言えることは、「古代ギリシアの音楽家たちはまぎれもなく同時に複数の音を鳴らすというテクニック利用していたけども、最も基本的な、そしてよくしられたギリシア音楽響きモノフォニックだった」と[要出典]。

※この「どのような音楽であったか」の解説は、「古代ギリシアの音楽」の解説の一部です。
「どのような音楽であったか」を含む「古代ギリシアの音楽」の記事については、「古代ギリシアの音楽」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「どのような音楽であったか」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「どのような音楽であったか」の関連用語

どのような音楽であったかのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



どのような音楽であったかのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの古代ギリシアの音楽 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS