その1工事
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設計は2003年(平成15年)3月26日設計に着手し、2004年(平成16年)2月27日完了している。橋の構造やスパン割りなどの設計は合理性と経済性が重視され、新技術の導入の検討を行ないつつ、目標とするサービス水準を低下することなくコストの縮減を図り、そのことは後日優良業務として評価され、2004年(平成16年)7月27日に大宮国道事務所より表彰されている。 橋の下部工(橋台、橋脚)は2006年(平成18年)3月着手された。元請会社は東急建設が請け負い、施工は幸手クレーンが担当し、2006年(平成18年)11月着工された基礎条件は砂礫層を支持地盤とし、橋脚基礎はフーチング基礎(一部鋼管矢板基礎)が用いられている。 橋の上部工の建設は下部工の工事がまだ継続中であったが、2007年(平成19年)10月31日着手された。施工会社については日鉄ブリッジ(現日鉄トピーブリッジ)が元請会社として25億9392万円で請け負い、下請会社として株式会社ミックが主桁、およびPC床版の架設を請け負い、株式会社川村鉄建工業が横桁(主桁どうしを短辺方向に繋ぐ横架材)および高欄・場所打ち床版の打設を請け負った。 現場では夏場の出水期である6月から10月末までは、河川区域内での立ち入りやベント(桁を支えるための仮設支持工)などの仮設工の設置が出来ないため、架設に向けての詳細計画を策定するほか、クレーンの走行路や架設に必要となる部材のストック場所などの作業ヤードを拡幅整備するため、地権者に借地要請を行い、11月の架設に一斉にスタートできる様準備した。 鋼製の主桁やPC床版などの部材は福岡県北九州市の日鉄ブリッジ若松工場で製作を行い、部材の仮組み立てや溶接試験をするなど、架設工事に向けてのシミュレーションを行った。製作した部材の輸送は海路および陸路にて行い、工場から東京港の辰巳埠頭まで499トン船で4日かけて海上輸送し、トレーラーで架設現場までの陸送を行った。辰巳埠頭には運搬した部材をストックする拠点(保管ヤード)を設けた。 架設工事は2008年11月開始し、12月までの2ヶ月間の短期間に主要な工事を終わらせなければならず、6径間4橋分の主桁を4橋同時施工する措置が取られた。架設に使用したクレーンは400トン油圧クレーン4台の他、補助作業用クレーン10台以上が投入された。ベントは設置および解体が迅速に行えるユニット式ベントが用いられた。作業員は150人/日以上が従事した。 架設はベントで支持しつつクレーンで3径間分を先行して架設し、4径間目に着手する段階で1径間目より順次PC床版の敷設を行い、敷設の際は加重による主桁の変位量をコンピュータ管理しながら行われ6径間分までを繰り返した。主桁の部材の連結は短期間の施工の中、工数はやや増えるが信頼性を重視し溶接継手の一種であるフランジとウエブの溶接線が垂直方向に一直線とならないZ継手構造(参考リンク)を採用して上下フランジがウェブに対しそれぞれ100ミリずつ前後した構造を持たせ、現場溶接の際の溶接線が交差することで懸念される入熱量増加による靭性劣化のリスクを回避しつつ、疲労耐久性を向上させるなど施工品質の向上を図った。 橋の上部工は2009年(平成21年)3月31日完了し、隣接工区に引き継がれた。 後日、2009年(平成21年)7月14日に国土交通省関東地方整備局より、平成20年度の優良工事及び優秀工事技術者として圏央道荒川渡河橋上部工事およびその施工業者が表彰された。当工事は着手から完了するまでの間、無事故無災害を達成している。
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