利根川橋梁 (常磐線)とは? わかりやすく解説

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利根川橋梁 (常磐線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 06:20 UTC 版)

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利根川橋梁(とねがわきょうりょう)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線利根川に架かる鉄道橋で、トラス橋である。千葉県我孫子市青山茨城県取手市取手を結ぶ。

概要

快速線緩行線でそれぞれ独立した複線下路式ワーレントラス橋が架けられている。

2014年(平成26年)以前の快速線の橋梁は、上り線が東京石川島造船所(現・IHI)製の単線下路式曲弦プラットトラス[1]であり、下り線が横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)製の単線下路式ワーレントラス[2]の組み合わせとなっていた。 老朽化のため、下流側(現橋梁と緩行線橋梁の間)への架け替え工事が実施され[3]2013年(平成25年)12月8日に快速上り線が、2014年(平成26年)11月9日に快速下り線が、それぞれ新橋梁に切り替えられた。新橋梁の供用開始後、旧橋梁は撤去された。

歴史

  • 1896年(明治29年) 日本鉄道土浦線(のちの常磐線)の田端 - 土浦間開業に伴い、本橋梁(初代)が供用開始となる。
  • 1906年(明治39年)11月1日 日本鉄道が国有化される。
  • 1909年(明治42年)10月12日 路線名称が常磐線となり常磐線の橋梁となる。
  • 1917年(大正6年) 複線化のため旧下り線の橋梁(2代目)を架設し供用開始となる。
  • 1922年(大正11年) 複線化のため橋梁(初代)を撤去し、旧上り線の橋梁(2代目)を架設する。翌年に複線化とともに供用開始となる。
  • 1958年(昭和33年) 旧下り線(現・快速下り線)の橋梁(3代目)を架設する。
  • 1962年(昭和37年) 旧下り線の橋梁(2代目)が旧上り線(現・快速上り線)に転用される。また、旧上り線の橋梁(2代目)が撤去される。なお、撤去された旧トラス桁8連はそれぞれ転用され内7連が現用されている[4]
  • 1982年(昭和57年)11月15日 我孫子 - 取手間複々線化に伴い、緩行線用の橋梁が架設・供用開始となり、従来の橋梁は快速線用となる。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化によりJR東日本の橋梁となる。
  • 2013年(平成25年)12月8日 快速上り線が新橋梁に切り替えられる。
  • 2014年(平成26年)11月9日 快速下り線が新橋梁に切り替えられる。

隣の橋

(上流) - 新大利根橋 - 大利根橋 - 利根川橋梁 - 栄橋 - 若草大橋 - (下流)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 歴史的鋼橋 利根川橋梁(快速上り線) - 土木学会
  2. ^ 歴史的鋼橋 利根川橋梁快速下り線 - 土木学会
  3. ^ 常磐快速線利根川橋りょう改良その1工事を受注 - 東鉄工業 (PDF)
  4. ^ 常磐線旧上り線の本橋梁からトラス8連の内、3連が羽越本線阿賀野川橋梁、4連が北陸本線上り線の庄川橋梁、1連が神岡鉄道神岡線廃線)の第二高原川橋梁に転用されている。

座標: 北緯35度53分21.3秒 東経140度3分31.8秒 / 北緯35.889250度 東経140.058833度 / 35.889250; 140.058833




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