『明治文学史』
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『明治文学史』(岩波書店、2000年)の最も顕著な特徴は、文学史を考察する上での歴史主義的・年表的な思考方法が意識的に排されている事である。なお、この著書は、1995年にアメリカのコーネル大学の大学院において行った講義に基づいたものである。 承前の仕事の中で、亀井は、作品の内容やテーマを時代状況等と関連させて説明する〈実証的方法〉を取らず、常に、言語表現それ自体に焦点を当ててきた。亀井が自らの方法を〈表現論〉〈表現史〉と呼んできたのは、そのためである。だが、一方で〈時代〉という大きな枠組みを先験的な前提としていたことは否定できない。 講義のテーマを決めるにあたり、コーネル大学は、「近代的文体の形成を中心とする文学史」を希望してきた。 1980年代から90年代にかけての欧米圏における日本学の流行のテーマは、〈日本における近代的な文体(言文一致体)の形成〉であった。その根底には、「言文一致体による日本語の統一=国民国家創出のための国家的文化戦略」という図式がある。 だが、亀井は、その要望を容れつつ「日本の明治期の小説とその文体について、読者や作者、文体、物語構造などがどのようにからみあいながら変化していったか」に焦点を合わせ、その変遷をたどっている。 例えば、三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」の速記本は、従来の言文一致運動研究にとっては落とすことの出来ない事項であるが、亀井は、その事について、〈テクスト生産〉という観点に基づき、速記術という新テクノロジーや、速記の記号を文字化する際の速記者の関与にも視点を拡げている。また、「怪談牡丹灯籠」の〈文〉における漢字と振り仮名との独特な関係に注目し、〈読者のリテラシーへの配慮〉や〈読者の生産〉という問題にまで考察を及ぼしている。 亀井は1986年、シカゴ大学で「日本の言文一致運動」に関する講演を行った。その講演の中で彼は、自分の基本的な見方を「日本における言文一致の試みは、端的に言えば、linguistic capital(言語的資本)を高める運動だったと思う」と説明したところ、多くの聴衆が賛同的な反応を示した、と述べている 。なお、この際の〈linguistic capitalを高める〉という言葉が意味するところは、言語学習の効果(economy)と、階層的・地域的な流通(circulation)と、言語の等価交換(equivalent exchange)の三点において機能的な質(quality)を高めることであった。亀井は『明治文学史』の中で、新しいテクスト生産のシステムの中で言語がどのように表現的な質(quality)を高めていったかを論述した。 亀井はこのように、先の図式に基づく〈文体史〉を批判し、文化的・文学的な事象を日本の近代史に関する大きな物語(グランド・ナラティヴ)に回収・還元してしまう歴史主義的なやり方を避け、歴史年表を含まない〈表現史〉を試みた。 その意味で亀井の『明治文学史』は、〈文学史そのものを批判した文学史〉と言えるが、それが従来の文学史を超えて自立的な文学史となり得るためには、言語表現それ自体の歴史を描く方法を持たなければならない。そのため、亀井は、文体内に取り込まれた新たな記号による〈内面〉の生産や、風景描写の視点位置の変遷を追う等の観点と方法を導入することにより、この課題に応えている。 さらに最終章では、田山花袋の『田舎教師』を取り上げ、この作品がどのようにして物語自身のためのグランド・ナラティヴを作り出しているかを分析し、「作品自体が語る自分の文学史」を描きうる可能性を示した。
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