『明治事物起源』による解説
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「ハイカラ」の記事における「『明治事物起源』による解説」の解説
石井研堂(1908)による『明治事物起源』は明治に始まる種々の事物・事象について、過去の新聞雑誌の記事などを元に解説したもので、以下はハイカラの語の由来を説明した一文である(同書 p.67-69、旧漢字は新漢字に変更してある)。 ハイカラの始明治三十一二年の比、毎日新聞記者石川半山氏、ハイカラーといふ語を紙上に掲げ、金子堅太郎氏の如き、洋行帰りの人々を冷評すること度々なりし。泰西新流行の襟の特に高きを用ひて済まし顔なる様、何となく新帰朝をほのめかすに似て、気障<きざ>の限りなりければなり。然るに、三十三年八月、築地のメトロポールホテルに於て、竹越与三郎氏の洋行送別会を開きたる時、来客代る代る起ちて演説を試みたりしが、其の際、小松緑氏起ちて、ハイカラーといふに就いて一場の演説を試み、世間多くは、ハイカラーを嘲笑の意味(p67/p68)に用ゆれども、決して左には非ず、ハイカラーは文明的にして、其の人物の清く高きを顕はすものなり。現に、平生はハイカラーを攻撃する石川氏の如きも、今夕は非常のハイカラーを着け居るに非ずや云々と滑稽演説を試みて、満場の哄笑を博したり。その記事、各新聞紙上に現はれて以来、ハイカラーといふ語の流行を来すに至れり。最初は、この語を、気障生意気などの意に用ひ、髮の分け方苅り込方の気障なるをも、ハイカラと冷評し、女の庇髪の出過ぎたるをもハイカラと罵倒したりしが、小松氏の言、讖<しん>をなせしにや、終には、其義を引伸して、洒落者、或は最新式などの義にも用ひ、社会上下を通じて、一般の流行語となれり。特に可笑きは、小学の児童まで、何某はミツドを持ちたればハイカラなり、外套着たればハイカラなりなど言ふこと珍しからず。罪のなき奇語の、広く行はれしものかな。奇語にて思ひ出せしが、日露開戦の初め、露探事件とて、大疑獄起こりたりしが、これより後、他人を悪罵するに、露探々々といふこと一時行はれたりし。芝居に行き、幕間長きを憤りてさへ、「早く幕明けないと、露探々々」など、罵る者ありしを聴きしことあ(p68/p69)り。一時の流行語には、一寸せし機会より生ぜし、想像外の奇語あるを知るべし。
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