『明月記』の記事とは? わかりやすく解説

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『明月記』の記事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 07:01 UTC 版)

藤原定家自筆本源氏物語」の記事における「『明月記』の記事」の解説

定家日記である『明月記』には『源氏物語』書写に関して何カ所かの記事存在する嘉禄元年2月16日1225年3月26日)条前年1224年元仁元年))11月から家中小女等に書写させた「源氏物語五十四帖」が出来上がり昨日表紙付け終え今日その外題書いて完成した建久の頃に『源氏物語』(家の証本ともいうべき物)を盗まれ以来長年証本作り怠けてこの物がなかったが、漸く出来上がったとはいうものの、なお狼藉不審箇所多々あり、必ずしも満足のいく出来でない。 嘉禄2年5月26日1226年6月22日)条承明門院姫宮から所望されたため「紅葉賀」「未通女」「藤裏葉」三帖を書き進ぜた。 安貞元年10月13日1227年11月23日)条室町殿から借りていた『源氏物語』二部を「家本」と「見合」せ「用捨其詞」して返上した寛喜2年3月27日1230年5月11日)条「桐壺」(と「紅葉賀」)を分担して書くよう命じられる同年3月28日1230年5月12日)条「桐壺」を書くこと渋る同年4月3日1230年5月16日)条「紅葉賀」を書終られず。 同年4月4日1230年5月17日)条『源氏物語』を書く間、発熱歯痛する。 同年4月6日1230年5月19日)条「桐壺」と「紅葉賀」を完成させて進呈した同年4月26日1230年6月8日)条「夕顔」巻は忠明中将分担書写したことを知る。

※この「『明月記』の記事」の解説は、「藤原定家自筆本源氏物語」の解説の一部です。
「『明月記』の記事」を含む「藤原定家自筆本源氏物語」の記事については、「藤原定家自筆本源氏物語」の概要を参照ください。

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