『明日に架ける橋』発表後
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「サイモン&ガーファンクル」の記事における「『明日に架ける橋』発表後」の解説
1970年発表のアルバム『明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』の制作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化した。『明日に架ける橋』は、全世界で売上が1,000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に2人はそれぞれのソロ活動に入った。72年から73年にかけては、日本独自で「冬の散歩道」「エミリーエミリー」がシングル・カットされ、小ヒットしている。 1972年6月14日、ベトナム反戦候補で民主党リベラル派の大統領候補ジョージ・マクガヴァン支援コンサートに揃って登場し「スカボロー・フェア」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」などを歌った。ブラス・ロックのシカゴもマクガヴァン候補を熱烈に支援した。 1975年には「マイ・リトル・タウン」をS&Gで録音し、それぞれのソロ・アルバム(ポール『時の流れに』、アート『愛への旅立ち』)に収録しているほか、1978年にアートが発表した『ウォーターマーク』に収録されている「ワンダフル・ワールド」では、ジェームス・テイラーと共にギターとボーカルでポールも参加しており、3人がハーモニーを披露している。 1981年9月19日には、ニューヨークのセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員し、世界ツアーを行った(1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場と大阪スタヂアムでコンサートを行っている)。この時、ポールの作品にアートが参加する形でアルバム制作が行われたが、作品に対する意見の食い違いから、結局ポールのソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバムに収録された曲のいくつかは、アートも録音に参加し、発売直前までに完成していた。その後、2人の間は疎遠になっていった。2003年には、ポールがソロとしてロックの殿堂入りした際に、「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチで述べているほど、2人の関係は冷え切っていた。 近年は1993年、2003年とたびたび再結成を行い、全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演・福岡公演としてそれぞれ東京ドームと福岡ドームで再来日公演を行なった。2009年7月には16年ぶりの来日公演を行い、何回かの公演の合計で約15万人を動員する成功を収めた。2014年にはアートがインタビューで、近い将来デュオが再結成され、ツアーが実施されると信じると語った。アートはファンがツアーを望んでおり、自分の心はファンとともにあると述べている。 彼らの作品は多くのミュージシャンにカバーされ、歌い継がれている。「明日に架ける橋」はアレサ・フランクリンのカバー・バージョンがよく知られ、「冬の散歩道」はバングルスのバージョンが全米2位を記録した。
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