『明日に架ける橋』発表後とは? わかりやすく解説

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『明日に架ける橋』発表後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 08:12 UTC 版)

サイモン&ガーファンクル」の記事における「『明日に架ける橋』発表後」の解説

1970年発表アルバム明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)』の制作中にポールアート音楽対す意見違い表面化した。『明日に架ける橋』は、全世界売上が1,000万枚超える大ヒットとなり、グラミー賞最優秀レコード賞最優秀アルバム賞受賞したものの、このアルバム最後に2人それぞれのソロ活動入った72年から73年にかけては、日本独自で「冬の散歩道」「エミリーエミリー」がシングル・カットされ、小ヒットしている。 1972年6月14日ベトナム反戦候補民主党リベラル派大統領候補ジョージ・マクガヴァン支援コンサート揃って登場しスカボロー・フェア」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」などを歌ったブラス・ロックシカゴマクガヴァン候補熱烈に支援した1975年には「マイ・リトル・タウン」をS&G録音しそれぞれのソロ・アルバムポール時の流れに』、アート愛への旅立ち』)に収録しているほか、1978年アート発表したウォーターマーク』に収録されている「ワンダフル・ワールド」では、ジェームス・テイラーと共にギターボーカルポール参加しており、3人がハーモニー披露している。 1981年9月19日には、ニューヨークセントラル・パーク再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆動員し世界ツアー行った1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場大阪スタヂアムコンサート行っている)。この時、ポール作品アート参加する形でアルバム制作が行われたが、作品対す意見食い違いから、結局ポールソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバム収録された曲のいくつかは、アート録音参加し発売直前までに完成していた。その後2人の間は疎遠になっていった2003年には、ポールソロとしてロックの殿堂入りした際に、「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチ述べているほど、2人の関係は冷え切っていた。 近年1993年2003年とたびたび再結成行い全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演福岡公演としてそれぞれ東京ドーム福岡ドーム再来日公演行なった2009年7月には16年ぶりの来日公演行い何回かの公演合計で約15万人動員する成功収めた2014年にはアートインタビューで、近い将来デュオ再結成され、ツアー実施される信じると語ったアートファンツアー望んでおり、自分の心はファンとともにあると述べている。 彼らの作品多くミュージシャンカバーされ歌い継がれている。「明日に架ける橋」はアレサ・フランクリンカバー・バージョンがよく知られ、「冬の散歩道」はバングルスバージョン全米2位記録した

※この「『明日に架ける橋』発表後」の解説は、「サイモン&ガーファンクル」の解説の一部です。
「『明日に架ける橋』発表後」を含む「サイモン&ガーファンクル」の記事については、「サイモン&ガーファンクル」の概要を参照ください。

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