『明六雑誌』の刊行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:49 UTC 版)
明六社が結成されてより、年をまたいだ数ヶ月後に『明六雑誌』はようやく刊行された。発売された雑誌はいずれも刊記に発行日が記されているが、それが新聞に出された現実の発行日と一致しないことしばしばあった。たとえば第1号は3月と記されているが、実際には4月2日発行である。これは印刷・編集といった諸問題から発行日が記載されたものとずれたのだと考えられている。また規約によれば、月に二回発行するとなっているが、その点はアバウトであって、創刊時には一気に4冊出版しているが、雑誌の行く末が危ぶまれた時には月に一回しか発行しなかったこともあった。掲載される論説本数も2~6本とばらつきがある。アバウトな点は他にもある。実は『明六雑誌』には幾つか異本が有ることが分かっている。タイトルは「明六雑誌」で知られているが、本文1頁には「明六社雑誌」と表記しているものがほとんどであった。ところがいくつかの号では表紙通り「明六雑誌」と記載されていた。大きさもB6版相当のものとA5版相当のものの二種類あることが確認されている。 雑誌には啓蒙という大目標があるものの、細かい厳密な編集方針はなく、全号を一貫する具体的テーマもない。また個別のテーマに対する論者の姿勢も一人一人異なっており、後述するような特徴はあっても明六社として、雑誌全体として何か統一的なアピール(たとえば民撰議院を導入せよ/するなといったもの)を行うことはなかった。『明六雑誌』は特定の意見を発信するというよりも、様々な問題を提起し、知識を紹介して人々の関心を高めること自体が目的であった。また演説会・雑誌という当時目新しかった情報伝達手段もそれ自体が関心を引くのに十分であった。議論を公開するという点で外向的、意見が統一されていないという点で拡散的であることを『明六雑誌』は性質としていた。 扱う範囲は総合学術誌を目指しただけあって広範で、学者のあり方から妾の是非(男女同権論等)、哲学や信教の自由などの宗教論、文字改良論などの教育論、死刑廃止論等の社会問題関連、貨幣・貿易等の経済諸問題、はては妖怪の類まで、非常に広きにわたる論説・翻訳を扱っている。ただ文学に関してだけは論説が少ない。西周が「知説」(第25号)で文学用語を紹介する程度である。 掲載論説の総数は156本。その内訳は、多い順に並べると津田真道29本、西周25本、阪谷素20本、杉享二13本、森有礼と西村茂樹、中村正直が同列で11本、加藤弘之が10本、神田孝平が9本、箕作麟祥5本、柏原孝明4本、福澤諭吉3本、清水卯三郎2本、箕作秋坪と津田仙、柴田昌吉が並んで各1本である。なお、掲載されたものは明六社同人のものに限られていた。詳しくは後述の「掲載論説一覧」を参照されたい。
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