天文学の記録として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 05:27 UTC 版)
日記には、定家自身が遭遇したものや過去の観測記録など、さまざまな天体現象についての記録も残されている。当時、見慣れぬ天体現象(天変)は不吉の前兆であると考えられており、人々の関心事だったのである。『明月記』の天文記録としては、かに星雲を生んだ超新星爆発(SN 1054)の記述があることが著名であるが、これは定家の出生以前の出来事であり、陰陽師が報告した過去の記録が日記に残されたものである。 近代日本の天文学者たちは、1930年代に天文古記録を体系的に調査した。東京天文台の神田茂は、1931年より全国の文献調査に着手し、その成果は1934年から1935年にかけて『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』として出版された。これと同時期に、神田とも親交のあったアマチュア天文家の射場保昭は、日本の天文古記録を英文で海外に紹介し、『明月記』も海外にも知られるようになった。
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