文化戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:32 UTC 版)
「文化の西武」を遺憾なく発揮させるには、広告から売場の末端に至るまで、外部に依存しない独自展開が必要だった。 1975年、セゾンの文化拠点として池袋西武に「セゾン美術館」(西武美術館)を併設。集客狙いの催事場の域を超え本格的な展示に挑み、現代アートを中心とした独自路線の展示を行った。さらに池袋店本館には数多くの文化スペースを設け、次々に新鮮な企画が打ち出された。一方でパルコ系の文化事業は、それ自体がファッション商品であると位置づける。 1975年に大型書店の「リブロ」(西武ブックセンター)、アート系書店で美術品も扱う前衛的な形態だった「アール・ヴィヴァン」(ニューアート西武)が発足。「パルコ出版」や「リブロポート」、「トレヴィル」などを通じて、販売部数は期待できない本格的な美術書や文芸書を独自に出版した。 1979年には、アングラ系小劇場・ミニシアターの先駆けとなる「スタジオ200」、学校外から知識・教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。 現在六本木ヒルズが建つ場所に在った「ウェイヴ」(ディスクポート西武、1983年)は、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。 西友はスーパーマーケット業界では劣勢だったため、上質な売場提案による差別化を検討。その一環で開発され1980年に発売したプライベートブランド「無印良品」がヒットした。また脱チェーンストアとして、「西武」の名を冠し立地ごとにカスタマイズした西友独自の百貨店業態を模索した(のちのLIVIN)。 西友は米タイム社と提携し「西武タイム」(現:角川・エス・エス・コミュニケーションズ)で情報誌を展開した。これはのちにチケットセゾンを吸収し、誌面と連携した。 1982年、西武百貨店はテレンス・コンランとの提携による池袋西武「ハビタ館」より家具市場に参入。西友側では「DAIK(ダイク)」を展開し、モダンリビングのトレンドを先取りした。西武百貨店は家具専門のハビタ館の後継ともいうべく、1998年に北欧インテリア専門店「イルムス」と業務提携し、翌1999年に池袋店にイルムス館として日本初導入、スカンジナビアモダンの流行に先鞭をつけた。 1984年の映画配給「シネセゾン」など、セゾングループの映画事業への進出は、旧態依然としていた映画業界の常識を覆す斬新な取り組みが見られた。また、1987年には演劇の場として銀座セゾン劇場を開設した。 1984年には、倒産した大沢商会を傘下に収めたことで、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。[要説明] ホテル業では西武鉄道・国土計画グループ(当時)の「プリンスホテル」に、スケールではなく質で対抗し、少数宿泊でラグジュアリーを提供することを目指した「ホテル西洋銀座」を1987年に開業。翌1988年には国際的な高級ホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」を約2,800億円で買収し、西友子会社とした。 1988年には、FMラジオ放送局「J-WAVE」に出資した。
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