文化振興活動
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1941年(昭和16年)6月、堺市在住の芸術家・文学者らと芸術報国のために堺芸術家報国連盟を発足した。開口神社瑞祥閣での結成式には、各分野の芸術家が参集し、詩人安西冬衛の司会で、千虎が経過報告し、俳人大野翠峰を座長に推し、綱領・規約などを決定し、堺市立図書館長田島清を理事長に選んだ。戦後、1947年(昭和22年)4月、戦前の堺文化連盟・蘇薗社・青泉会・絵画報告連盟等多数の美術団体を母体とし、堺美術協会の前身である堺美術工芸振興会を発足。委員長となった。1947年(昭和22年)7月には「清らかで豊かな匂いの高い芸術作品を生活のなかにとりいれ、私たちの感情生活をうるわしいものにしようと」、大浜に尚美社という会を安西冬衛、芝村春晁、水島金陽、島御風、唱野蛾生、斉藤誠一らと発足。また、60余の文化団体の緊密な連絡をはかり、文化復興を促進するために1947年(昭和22年)に結成された堺市連合文化協会の発足会が8月20日に行われ、熊野青年文化会の代表として参加している。1950年(昭和25年)10月堺美術工芸振興会が発展的解消し、新たに堺美術協会が発足。会長に高木光太郎が就任。引き続き、千虎は委員長となった。
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