『昔咄』前編 第七巻とは? わかりやすく解説

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『昔咄』前編 第七巻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:55 UTC 版)

長野無楽斎槿露」の記事における「『昔咄』前編 第七巻」の解説

林崎甚助重信 (奥州奥州楯岡近所明神(一に林崎云う)此神に祈りて妙旨を暁りぬ。天下居合元祖。)―田宮平兵衛重正(関東人対馬改む。)―長野無楽斎槿露 (井伊家に仕、夢想流と云、九十余歳にて死す。)―上泉右衛門秀信―若林右衛門尚信(是入) 上泉右衛門は、神陰流宗師上泉伊勢守実子なりしが、生質神陰流兵法中々得すべき器量にあらずとて、父伊勢守示して林崎がながれ長野弟子になして、居合修練せしむ。右衛門心を砕いて学習し居合名人となり、諸国に遊ぶ。後に尾州柳生が許に至る。 如、父石舟斎が師匠たる上泉が子の事なれバ甚だ懇にし、尾州にとどめん事を謀り居合指南をなさんがため、まづ、高田三之丞仕合をなさしむ。初一本ハ三之丞勝って右衛門抜く事不能。三之丞いへるハ、貴客の居合妙にして、十の物九ハ至れり、今一つの所ぞといふ。右衛門、暫らく工夫ありて、又敵す二本めよりハ三之丞かつ事ならずして曰、いまハ微妙を悟し得られたり。恐らくハ天下勝者なからん。則柳生一家をさきとして国中者共弟子になれり。間々免許を得る有り、但し若林右衛門ひとり傑出して門人多し村上九郎(武兵衛・只右衛門等が父)高弟なり。 又 瑞龍院様へ御指南仕りぬ。勝右衛門隠居し、是入といふ無刀になれり。一日小山了斎(元祖市兵衛隠居の号)が許へ至る。了斎出迎ふに、是入無刀なり。了斎曰、足下居合ぬきなるに、無刀はいかんぞ。是入曰、居合をぬく故、もはや居合の役に立た不るを知りぬるゆへ、隠居せし。居合用に立つほど達者なれバ、いまだ御奉公仕るなり。然れバ用に立た不る、両腰たばさみて何かせん、扇子一本こそ心安く候へといふ。了斎聞いて、扨々我等誤りたり、今日よりハ此御弟子にも成る可しとて、是もそれより無刀成りぬ。 服部初め豊嶋久太夫・若林四郎兵衛・若尾善大夫荒川新兵衛(高須にて指南)野田善十郎今村文太左衛門山田佐左衛門平井健之右衛門が類、今の代まで指南せるハ、みなこれ是入が末なり御側御指南下し多し御目録被下しも、有之由。

※この「『昔咄』前編 第七巻」の解説は、「長野無楽斎槿露」の解説の一部です。
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