『昔飛衛という者あり』
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寛永14年(1637年)の作品。巻頭と巻末に中国の古典『列子』の「名人論」を引用して、道を極めた者同士が立ち会った場合の理想的な境地について解説している。新陰流の剣理を「第一段 見(目の付け所)」・「第二段 機(かけひき)」・「第三段 射(心法)」の三点に絞り込んで体系化し、独自の兵法論に構築している。初稿は宗矩より焼き捨てるように命じられた後、沢庵宗彭の加筆を得て完成した。印可論文として書かれ、奥付には宗矩直筆の印可状が添えられている。
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