三厳の著作における記述とは? わかりやすく解説

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三厳の著作における記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 16:56 UTC 版)

柳生三厳」の記事における「三厳の著作における記述」の解説

『昔飛衛という者あり』再出仕する前年寛永14年の作) 「愚夫故ありて東公を退て、素生の国に引籠ぬれは、君の左右はなれたてまつりて、世を心のまゝに逍遥すへきは、礼儀もかけ天道もいかゝと存すれは、めくるとし十二年は古郷を出す。何の道にか心をいさゝかもなくさめそなれは、家とするみちなれは、明くれ兵法の事を案し、同名飛衛被官の者とも、是等にうち太刀させ所作をして見るに、身不自由にしておもふまゝならぬ事のみなり。」【現代語訳=とある事情家光公の元を退いて故郷柳生庄)に引き籠った。主君の側を離れておいて、世を自由に出歩くのは、礼儀欠け天道にも背くと思ったので、12年間は故郷を出なかった。他にするべき事もなかったので、一日中家業兵法の事を考えて過ごし同名飛衛被官の者を相手組み太刀試みてみたものの、身は不自由にして思うようならない事ばかりであった。】 『月之抄』再出仕後寛永19年の作) 「先祖の跡をたつね、兵法の道を学といへとも、習之心持やすからす、殊更此比は自得一味ヲあけて、名を付、習とせしかたはら多かりけれは、根本之習をもぬしぬしが得た方に聞請テ、門弟たりといへとも、二人の覚は二理と成て理さたまらす。さるにより、秀綱公より宗厳公、今宗矩公の目録ヲ取あつめ、ながれをうる其人々にとへは、かれは知り、かれは知不、かれ知たるハ、則これに寄シ、かれ知不ハ又知たる方ニテ是をたつねて書シ、聞つくし見つくし、大形習の心持ならん事ヲよせて書附ハ、詞にハいひものへやせむ、身に得事やすからす。」【現代語訳先祖の跡をたずね、兵法の道を学んでみたものの満足できず、宗厳公の門弟達を訪ねてみたが、各人独自に解釈したものを教え称しており、定まった理を得ることが出来なかった。そこで、上泉秀綱公から宗厳公に与えた目録宗厳公から宗矩公に与えた目録とりまとめ新陰流学んだ人々訪ねて各人知っていることを、聞きもし、見もし、およその要領書きつけ文章にしてみたもののそれらを容易に体得することはできなかった】

※この「三厳の著作における記述」の解説は、「柳生三厳」の解説の一部です。
「三厳の著作における記述」を含む「柳生三厳」の記事については、「柳生三厳」の概要を参照ください。

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