「静岡事件」の自供
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「永山則夫連続射殺事件」の記事における「「静岡事件」の自供」の解説
しかし冒頭陳述朗読中の1973年(昭和48年)5月4日、第39回公判で永山は突然、起訴されていなかった余罪について自供した。その内容は静岡県静岡市内で起こしたとする窃盗(自転車窃盗および学校・事務所での侵入窃盗)、現住建造物放火、銀行員に対する拳銃使用事件に関してのもので、永山は「17日ごろの深夜に静岡市内の会社事務所・高校事務所に侵入して現金・預金通帳を盗み、会社事務所(後述:江崎グリコ静岡連絡所)へ放火した。その翌日9時ごろ、静岡駅前の三菱銀行支店で盗んだ通帳を使い、預金を引き出そうとしたところ、行員に怪しまれたので3階のトイレへ行った。そのとき警官が駆け付けたため、拳銃を発射(不発)して逃げた」と陳述した。また、1975年4月9日の公判では「新宿の喫茶店『ビレッジバンガード』に勤務していた際、同僚から疑いを掛けられたほか、元従業員からも『4人殺しのナガさん』呼ばわりされるなど嫌がらせを受けた。その前後から新宿には警察関係者が多かった。それらを総合判断すれば、警察が自分を見逃していたことは明らかだ」と陳述した。 この「静岡事件」について弁護人(辞任前の鈴木淳二・早坂八郎・中北龍太郎)は「警察当局は東京・京都両事件発生後、両事件を同一犯による事件として広域指定し、名古屋事件直後ごろには永山をその犯人として特定していたが、当時の大学闘争を中心とした社会・政治情勢の緊迫化の中で全国の治安体制の維持をはかり、或いは少年法改悪を推進する目的で永山を尾行し、行動を監視しつつこれを泳がせた。その結果、静岡で永山による余罪事件が起きたが、警察は永山を逮捕しないまま放置し、渋谷区での事件(原宿事件)発生に至った。そのため、静岡事件における警察の対応は刑法103条に抵触するが、その責任を追及せずに原宿事件について永山のみの責任を追及することは不平等で日本国憲法第14条に違反し、その捜査手続きも憲法13条・31条違反であるため、原宿事件に関する公訴提起は違法・無効だ」と主張し、原宿事件について刑事訴訟法第338条4号に基づき公訴棄却を申し立てた。また、永山本人も「静岡の銀行で出した伝票には自分の指紋が多数付着していたはずだ。本事件以前にも自分は何度も逮捕されて指紋・掌紋を採取されており、京都事件の現場に落としたジャックナイフにも自分の指紋が付着していたため、警察は自分が犯人であることを特定できていたし、自分が静岡に現れるだろうことも予見していた。それにも拘らず警察が自分を指名手配せず、逮捕後も『静岡事件』を追及しなかった理由は、少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げる方向で改正を狙う法務省が自分を泳がせてさらなる凶悪事件を重ねさせ、少年法改正のキャンペーンに利用しようとしたためだ。この権力犯罪を指揮したのは警察庁次長・後藤田正晴で、後藤田は『静岡事件』隠蔽の論功行賞で1969年になって警察庁長官へ昇格した」と主張した。 この発言を受け、静岡県警察捜査一課は1973年11月6日付で「捜査報告書」を作成したが、その内容は「11月18日9時ごろ、三菱銀行静岡支店(静岡市御幸町8番地)へ江崎グリコ静岡連絡所(同市安東柳町10番地)から『預金通帳が盗まれた』という電話があり、銀行側が警戒していたところで不審な若い男が預金引き出しに現れた。男はいったん『(3階の)トイレに行きたい』と言って3階へ行ったが、応対していた預金係長が行内電話で階下へ知らせようとしたところ、トイレから飛び出してきて拳銃を突き付け、逃げようとする途中で係長に拳銃を向けて引き金を引いたが不発に終わった。直後に捜査員2人が連絡所から到着した捜査員2人が銀行に到着したところ、係長の『泥棒』という声を聞き、直後に応接間から飛び出した男が拳銃のようなものを向けたのを見たため、2人で追いかけたが繁華街で見失った」「(永山が銀行に出したとされる)払戻請求書からは永山の指紋は検出されず、筆跡も対照文字が少なかったため鑑定不可能だった。逮捕後に静岡県警の捜査員が東京拘置所で永山本人と接見したが、永山は『話は公判でする』と取り調べを拒否して応じなかった」というものだった。 結局、検察官は1974年(昭和49年)6月5日付で「静岡事件」について「遡って訴追する必要はない」として不起訴処分にしたが、弁護団はこれに反発こそしたものの、同事件の犯人取り逃がしを「権力犯罪」とはみなさなかった。永山は同年9月21日に「弁護団は『静岡事件』の本質を『警官が尾行して泳がせた権力犯罪』と知りながら黙認し、精神鑑定を申請(後述)することで”妄想”として揉み消そうとした」として、第二次弁護団を解任した。 東京地裁 (1979) は第一審判決で「警察官が永山を尾行した事実は認められず、原宿事件での現行犯逮捕に至るまで犯人を特定できていなかった」と認定して永山の申し立てを退けた。
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