清和源氏 主な清和源氏

清和源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 18:22 UTC 版)

主な清和源氏

氏族

一般には清和源氏とされていても仮冒の可能性がある氏族もある。
清和源氏の後裔を称する一族
仮冒・伝説の可能性が高いとされる氏族。
三河国豪族信光の代には賀茂氏を名乗っていたという。家康徳川氏に改姓するにあたって仮冒した氏は藤原氏であった。そのため、慣例で源氏がなるとされていた征夷大将軍に任官されるために、新田氏の末裔となるべく系図を借り受けて「源朝臣」を仮冒するようになったという解釈がされることが多い。しかし、笠谷和比古らの研究によると、1588年後陽成天皇聚楽第行幸の際には、家康はすでに源朝臣を名乗っていたという。また、家康の祖父の松平清康の代には既に世良田氏の子孫を名乗っていたという説もある。いずれにしても、徳川氏は清和源氏を仮冒したとされる。その後家康は慶長8年(1603年)に征夷大将軍源氏長者に任じられ、幕府を開いた。
薩摩国大名鎌倉時代守護室町時代守護大名、戦国時代は戦国大名江戸時代薩摩藩主)。元来は中国からの渡来人の末裔である惟宗氏の出で、島津家の祖・忠久惟宗広言の子とされてきた(近年では惟宗忠康の子という説が有力)。だが忠久が源頼朝により抜擢・厚遇されたことからその理由付けとして「忠久は頼朝の庶子」という系図を自作し「源朝臣」を称するようになったとされている。故に島津氏も徳川氏同様清和源氏を仮冒したとされる。

人物

著名な清和源氏姓の人物に関しては、清和源氏の人物一覧を参照。


清和天皇諸皇子・皇女系譜

経基王(源経基)子孫

源頼光流(摂津源氏)

  1. ^ 倉本 2019, p. 56-57.
  2. ^ 倉本 2019, p. 57-58.
  3. ^ 竹内 1965, p. [要ページ番号].
  4. ^ 「世ノ所謂淸和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考-源朝臣經基の出自をめぐつて-」(『聖学院大学総合研究所紀要』第二五号、 2003年1月発行)
  5. ^ 義江 1995, p. [要ページ番号].
  6. ^ 赤坂 2002.
  7. ^ 元木 2002, p. [要ページ番号].
  8. ^ 安田 1966, p. [要ページ番号].
  9. ^ 元木 2011, p. 20.


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