清和源氏佐竹氏族の北氏
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清和源氏佐竹氏族の北氏は、常陸国の佐竹氏の一族である。佐竹氏居城の太田城の北に住んだことにより“北”の名前が発生したとされる。『戸村本佐竹系図』の注記に「佐竹左衛門大夫義治の子・左衛門義信(北)と見え、義武(久米義武)の名跡となる」と記されている。この北氏の人物として、『佐竹支族系図』北東分には「北義信(左衛門)─義住(又次郎、部垂において討死)」その弟「義廉(又七郎、左衛門大夫)─某(又七郎)」とあり、『諸家系図纂』も同じ内容を記載している。 『新編国志』に「北・佐竹義治の三子義武(久米義武)、三郎、又三郎と称し、久米城による。二子あり、義住、義廉という。義住、又次郎、天文8年(1539年)部垂に戦死す、子なし。弟・義廉あとをつぐ、又七郎と称す。子・義斯、又七郎左衛門督と称す。その子・義賢子なし、弟義信をあととす。又三郎左衛門督と称す。はじめ利員に居り、のち久米に徒る。地・太田の北にあるをもって、人呼んで北殿という」と記述されている。
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