清和源氏佐竹氏族 長倉氏とは? わかりやすく解説

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清和源氏佐竹氏族 長倉氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 22:19 UTC 版)

長倉氏」の記事における「清和源氏佐竹氏族 長倉氏」の解説

長倉氏本姓源氏家系清和天皇第六皇子 貞純親王王子 経基王を祖とする清和源氏流れで、2代源満仲三男 頼信を祖とする河内源氏2代 頼義の三男 新羅三郎義光長男 源義業の子 佐竹昌義を祖とする常陸源氏 佐竹氏庶流にあたる。家の起こり佐竹行義三男 三郎義綱、常陸国那珂郡長倉邑により、長倉氏名乗ることにはじまる。文保元年1317年)、長倉城を築城する。延元年間1336年 - 1340年)、佐竹義篤に随い、北朝方として戦い正平年間(1346年1369年)に没するという。 3代 常陸介義景は応永24年1417年の上禅秀の乱では山入与義とともに上杉禅秀方として挙兵するも、岩城氏らの援兵受けた佐竹義人軍勢に城を攻められ降伏する佐竹義人鎌倉公方足利持氏抗し室町将軍につくと、義景の子 遠江守義成佐竹義人に応じて幕府方となる。これに対し鎌倉府について上野国岩松持国長倉城に来襲し、戦況不利を察し降伏したという。

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