未確認飛行物体 代表的な目撃例とされた事件

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未確認飛行物体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 17:57 UTC 版)

代表的な目撃例とされた事件

1566年ドイツで制作された木版画(1561年のニュルンベルク上空の天文現象)。オーロラ幻日ではないかという考察の一方で、これはUFOを描いたもので、右下には墜落して煙を上げていると見られる、と考える人もいる。

古代中世から、超常現象としてのUFOと思われる物体は度々目撃が報告されており、古代文明の遺跡から出た壁画(アフリカ北部タッシリナジェールなど)や人形(日本の遮光器土偶など)の一部は「異星人」を思わせるとする解釈がある。浦島太郎など古来より伝わる幾つかの神話おとぎ話は、宇宙人やUFOとの遭遇を元に作られたという説を唱えるUFO愛好家がいる。いわゆる宇宙人らしきものとともに目撃される例もある。これらは伝承や遺跡の解釈の問題でもあり、すぐには事実と認定できない。また地球人類以外の知的生命体が製造した飛行物体、生きた宇宙人やその遺体が確認された例はまだない。

近代において円盤型の目撃例が増える20世紀後半より以前にも、19世紀末のアメリカでは「謎の飛行船英語版」、第二次世界大戦中の「フー・ファイター」、終戦直後の北欧では「幽霊ロケット」が目撃された。

航空機からの目撃例が多い他、なぜか軍事施設や原子力発電所の近辺、戦争中に目撃される例(前述のフー・ファイターなど)が多い。アメリカ同時多発テロ事件の際にも、2機目が突っ込んだ前後2 - 3秒ほどの間、UFOを付近で目撃したという発言が多発した。噂は存在するが情報の確認は行われていない(同項目を参照)。

以下ではUFO目撃史において代表的とされる事件を挙げる(なお、以下の例では航空軍事用語とエイリアンクラフトとしてのUFOが混在している)。分類可能なものはハイネック博士による分類法などにより年代順に整理する(→#アレン・ハイネックによるエイリアンクラフトの分類)。

第一種接近遭遇(近距離からのUFO目撃例)

以下はパイロットなどが近距離から未確認飛行物体を目撃した代表的ケースである。

フー・ファイター

第二次世界大戦中の1939年から1945年にかけて、未確認飛行物体が戦闘が激しい地域を中心にたびたび目撃された。「フー・ファイター」とは連合国の兵士たちの間で使用された「未確認飛行物体」の総称である。夜でもまばゆいほど発光しながら正確な編隊を組んでいたり、信じられないほどの高速で飛行したりしたと伝えられている。連合国側だけでなく枢軸国の日本軍やドイツ軍でも未確認飛行物体が目撃され、戦地で噂になっていた。

大戦当初にヨーロッパで目撃されたケースでは「ドイツの新型爆撃機だ」、また1941年12月の日本やアメリカの参戦後にアメリカ本土付近で目撃された際は「大日本帝国が秘密兵器を飛ばした」、「近海に日本の大艦隊がいる」、「ドイツの科学力と日本の航空技術が結ばれた」など、様々な噂が飛び出した。

実際に、1942年2月に日本海軍の艦船がカリフォルニア州サンタバーバラ近郊の石油施設を艦砲射撃した翌日未明には、後に「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれることになる未確認飛行物体(アメリカ陸海軍が日本軍の航空機と誤認した)の目撃と、それに対する大規模な攻撃がアメリカ陸軍によって行われ、多くの市民がこれを目撃し、対空砲火の破片や心臓発作で6人もの死傷者まで出す騒ぎになった。

また大戦後期のドイツは原爆(原爆はアメリカや日本も開発していた)やV2ロケット開発に着手し、当時の水準ではアメリカやソ連、イギリスを超えるほどの世界一ともいわれている科学力を持っていたため、戦後になっても「実はドイツは円盤型の超音速戦闘機を完成させていたのではないか」などの憶測を飛ばすことになった。そのためか、架空戦記ではドイツ軍の円盤型戦闘機などが登場するものもある。

ケネス・アーノルド事件

1947年6月24日にアメリカ人のケネス・アーノルドが、自家用機で飛行中ワシントン州上空で9個の奇妙な物体を目撃した事件。この事件の影響により「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」という語が普及した。

介良事件

1972年高知県高知市東部にて、当時の中学生たちが両手に乗るほどのサイズの小型UFOを捕獲したとされる事件。

ポルトガル空軍機による遭遇事件

1982年11月にポルトガルの空軍パイロット3名が飛行中に、直径3mの円盤型で金属製のUFOと遭遇した。UFOは停止したと思えば空軍機の周囲を旋回してつきまとったりと不規則な動きをした。後にもう1機の空軍機が応援に駆けつけUFOと対峙した。最後にUFOは非常な速度で飛び去った。後の民間研究では、否定派の科学者がUFOは気球だったと主張したが、目撃したパイロットたちはその意見を否定した。

日航ジャンボ機UFO遭遇事件

1986年11月17日に日本航空ボーイング747貨物機が、アラスカ州上空でUFOに遭遇し追跡された事件。


コスタリカでの目撃例

2007年11月、コスタリカ サンホセ州タルバカ地区に住む建築材料の加工作業を行っていた一般男性が、作業現場周辺(Calle Azulillos)でUFOが浮遊しているのを目撃した事例。モトローラのRAZR V3という携帯電話を用いて近距離撮影に成功したという。当時コスタリカの現地マスコミによって放送された。この映像がCGIやVFXではない場合、非常に近い距離且つ、高品質な状態で動画での撮影に成功した最初の興味深い事例だと言える。[1] 有志による画像解析とデータ検証によって、高い確率で加工された形跡が無いことが確認されている。[16]

コスタリカでは原因は不明だが、UFO現象が昔から多発しているという。2021年においてもこのサンホセ周辺でこのようなものが時折目撃されるという。[17]

RV(レーダーと目視によるUFO目撃例)

RV(Radar/Visual Reports)とはレーダー機器と目視で同時にUFOが観測された事例である。

エールフランス3532便事件

1994年1月28日ニース - ロンドン間の上空にて、エールフランス3532便の操縦士3名が奇妙な飛行物体を目撃した。当初「ぺしゃんこになった鐘」に見えたその物体は、すぐに赤黒い円盤状に形を変えた。2分後にその物体は消失したが、ある時はレンズ豆、ある時は矢のように見えるなど、絶えず輪郭を変化させていた。

同時刻にフランス空軍のレーダー、そしてトゥール市にあるレーダー探知センターが、3532便と直角に交わる未確認の物体を捕捉した。レーダーの記録などから、飛行物体が航空機や観測用気球であるという説は退けられた。パイロット達の証言の詳細は一致しており、物体が消失した時間の証言も、レーダーの記録と一致した。飛行物体の大きさは推定500メートルから1キロメートルであった。

人民解放軍空軍UFO追跡事件

1998年10月19日、中華人民共和国河北省滄州市の空軍基地上空にUFOが出現した。地上からも「キノコのような形」をして地上に光を放射しながら飛んでいく物体が目撃された。この軍用機でも民間機でもない飛行物体が4つのレーダー基地でも観測されたため、基地司令のリー大佐は迎撃命令を出した。発進した戦闘機には2名が搭乗していた。

この乗員の証言によれば、UFOはSF映画に出てくる形をしており、麦わら帽子のようであった。また、戦闘機が接近しようとすると逃走し、遠くに逃げ去ったかと思うと戦闘機の真上に出現したりと、相手をからかうような挙動を示した。飛行物体の高度が20,000メートルに達すると、戦闘機の燃料が乏しくなったため追跡は断念された。飛行物体はやがてレーダー反応からも消失した[18][19]

テキサス州事件

2008年1月8日のアメリカ南部テキサス州にて、警察官を含む17名が、フットボール競技場ほどのサイズのUFOを目撃した。UFOはレーダーでも3機捕捉されたが、そのうちの1機は飛行禁止空域だったジョージ・W・ブッシュの自宅に真っ直ぐ向かっていたため、F-16戦闘機が発進する事態となった[20]

フラップ(多人数によるUFO目撃)

フラップとは、同じ地域で短期間にUFOの目撃が多発する現象。「UFOウェーブ」とも呼ばれる。

ロサンゼルス空襲事件

未確認飛行物体の飛来を伝えるロサンゼルスタイムズ

対日戦が始まってから約3か月後の1942年2月24日の夕方、日本海軍の大型潜水艦がカリフォルニア州サンタバーバラ近郊の石油精製所を砲撃した(アメリカ本土砲撃)。米英戦争以来の本土攻撃を受けたアメリカ軍と政府は大混乱に陥り、アメリカ西海岸一帯に厳重な警戒態勢が敷かれた。

日本海軍による攻撃がその後なかったために、同日深夜には警戒態勢が解かれたものの、警戒態勢が解かれた直後の2月25日未明に、光を放ちながら数百キロメートルの低速で飛ぶ数十機の未確認飛行物体がロサンゼルス市上空に出現し、同時にレーダーにもとらえられたためにアメリカ西海岸一帯に再び警戒警報が出された。

その後飛行物体を目視で確認したアメリカ陸軍によって、飛行物体に向けて1430発もの対空砲火が撃ち込まれた。対空射撃は2時間続いたが、撃墜された飛行機はなかった。数千人の目撃者の中には、対空砲火の中を光を放つ飛行物体がサーチライトに照らされている写真を撮影したものや、「秒速8キロメートルでジグザグに移動する光体」がいたことを証言するものがいた他、ラジオでは対空砲火が行われている風景が実況中継された。なおこの作戦中に落ちてきた対空砲火の破片を受けたり、驚きのあまり心臓発作を起こした6人が死亡した[21]

しかし戦後公開された日本海軍の資料では、当時アメリカ西海岸沿岸で活動していた潜水艦の艦上機を合わせても10機にも満たなかった上に、この日にアメリカ西海岸上空を日本海軍機が飛行した記録はなかった(日本海軍機による初のアメリカ本土空襲が行われたのは同年9月である)。

エクセター事件

1965年、米国ニューハンプシャー州エクセターにて「巨大な金属製の物体」が音もなく上空に静止しているのを警察官2名と大学生が目撃した。物体は急降下して目撃者に接近してきたが、警官は銃を抜くことができなかった。民間人のコラムニストであるジョン・フラーがこの事件を調査したところ、75件を超える目撃情報があることが判明した。

この事件について空軍は自然現象の誤認説(→#気温逆転説)での説明を試みた。しかし、そうした公式見解は逆にジョン・フラーら民間研究者に「空軍によるUFO隠蔽説」の疑惑を抱かせることとなった。この事件により、1960年代のアメリカではUFO問題への多くの公開討論が各地で行われることとなった。

青瓦台UFO襲撃事件

1976年10月14日に大韓民国ソウル上空に12機の国籍不明の飛行物体が侵入。首都周辺に駐屯する韓国軍が対空砲で一斉射撃を行い、市街地に流れ弾が着弾し数人が負傷[22]

マニゼスUFO事件

1979年11月11日の夜、109名の乗客を乗せたTAE英語版 JK-297便のパイロットが、マニゼス東海上で驚くべき速度で飛来する2個の赤い光を目撃した。ジャンボジェットほどのサイズである2個の光の動きは完全に連動しており、航空機の周りを自由自在に飛び回り「挑発」とも取れる動きを示した。機長は空港に連絡を取りバレンシアに緊急着陸を行った。その後も赤い光は上空に見えており、地上要員や航空管制官、空港長が目撃した。その空域のレーダーにも捕捉された。スペイン防空司令部はロス・リャノス空軍基地ミラージュ戦闘機にスクランブルを命じたが、飛行物体は逆に戦闘機への急接近を行った。

ちょうど1年後の1980年11月11日、同じ飛行物体がスペイン北東部に再び現れ、少なくとも6機のスペイン旅客機がそれを目撃した。飛行物体は非常に明るい緑色の球形で、空港の滑走路を「うろついた」後に「飛び去って行った」と目撃者は述べている。

第2種接近遭遇(UFOの物理的証拠が残る例)

トラン=アン=プロヴァンス事件

1981年1月8日フランスプロヴァンス地方にて、自宅の庭で日曜大工をしていたレナート・ニコライが、爆音とともに急降下してくる鉛色の物体を目撃した。物体の大きさは2.5mで、スープ皿が上下に重なったような形をしており、光に包まれていた。1分をしないうちに物体は急速度で飛び去って行った。物体の下部にはドアが付いているようだった。地面には2mの円形の着陸痕が残っており、UFOという言葉を知らなかったニコライは憲兵に通報した。

憲兵による現場の調査結果はニコライの目撃証言とほぼ一致した。ニコライの証言によれば、飛行物体は驚くほど正確な操縦技術で操作されていた。ニコライ家の近隣には軍事基地があったが、時間帯や着陸場所から考えてもヘリコプターや飛行機ではなく物体は全く無音で飛行したため、エンジンで動く機体でもなかった。フランス国立宇宙研究センターのUFO調査部署であるGEPAN英語版は、現場から採取した土や植物のサンプルを解析した。その結果、着陸痕の地面は衝撃で摂氏600度まで上昇し、微量の亜鉛などが検出された。現場で採取されたウマゴヤシは、電磁気的な影響により損傷を受けていたため、飛行物体が電磁気で飛行していたという仮説が立てられた。物体の質量は推定500〜700kgであった。

懐疑的な研究者はUFOの着陸痕が完全な円形ではなく、車のタイヤに似ていること、当時の発見場所には車の往来があったこと、GEPANが現場に到着し調査を行うまでには時間の空白があったので、人為的な影響を及ぼすことが可能であったことなどを指摘している[23]。そこで1988年には調査が再開された。再度による土壌分析では植物に影響を及ぼしうる(粉末状のセメントなどの)物質は見つからなかった。「これらの分析から重大な物理現象が実際に起き、植物への説明できない影響、地面を擦った後、熱衝撃をもたらしたという結論が得られた」と分析者は述べている。

第3種接近遭遇(UFO搭乗者の目撃例)

9世紀のUFO搭乗事件

815年(あるいは852年)、フランスのリヨンにて、空から球状の物体が連なりつつ降下をしてくる事件が起きた。球体は草原に着陸すると、やがて「ドア」が開き、中から3人の男性と1人の女性が現れた。球体はやがて上空に消え去った。周囲の目撃者は出現した4人を魔術師だと思い処刑しようとしたが、やつれきった様子の彼らの説明を聞き、介抱した。介抱された4人の説明によれば、自分たちは普通の村人であり、野原にいる時にあの「球状の物体」と出会ったということであった。球体からは自分たちとよく似た男たちが現れ、彼らは自分たちは邪悪な者ではないと述べたという。4人は球体に乗り込み飛行経験をすることとなり、丸い窓から眼下の地上を眺めたり、世界各地の町を訪れたりといった体験をした。

この説明は当時の人々に受け入れられず、4人は火炙りとなるところであったが、現場にいた司教が介入しこの混乱を鎮めた。事件の詳細はこの司教により記録された[24][25]

ヘマー村事件

1948年に西ドイツのズンデルン (ザウアーラント)地方のヘマー村にて、全長30mの金属型の飛行物体が牧羊者の前に現れた。牧羊者は牧草地の中に着陸した物体の表面に触れると強いショックを受け気絶状態となった。彼が意識を取り戻すと、周りに体長1mほどのアーモンド形の目をした頭部の大きな生物たちがいた。彼らはおそらく酸素の容器と思われるチューブのついた箱を手にしており、気体を吸い出していた。彼らは理解できない言語で話し、土壌や草を調べサンプル採集を行っていた。やがて飛行物体に乗り戻ると、物体は高速で飛び去った。着陸痕として、丸く草が焼けた個所が複数並んでいた。目撃した牧羊者は、いつのまにか強い日焼けをしていた。

1952年マイニンゲン近くの森にて、48才の元ドイツの陸軍少佐が、11才の娘を連れてバイク走行していた。娘が150m先に変な物体があると言ったので近寄ってみたところ、円盤状の物体と、体長1.5mほどの銀色のスーツを着た2人の小人がいた。小人は目撃されたことに気づくと円盤に乗り込み、円盤は加速して飛び去っていた。辺りには押しつぶされた草が残っていた。元陸軍少佐は米当局にその話をし、西ドイツに駐在していたCIAに体験の証拠を提出した。

1954年10月10日、隣国のフランスでのUFO目撃がピークに達したころ、再びヘマー村の真北50kmの地点て、葉巻型の飛行物体が目撃された。あるミュンスターの映写技師は低空1.5mの高さで低空する葉巻型物体と、その下で作業する体長1m以下の小人たちを見た。彼らの頭部は大きく、ゴム製のような衣服を身に着けていた。小人たちは梯子を使い、物体の中に入っていった。その数時間前には、近くの田舎道を走行していた3名が、2体の小さな生き物がハイウェイを横切り円盤の中に入っていくのを目撃していた。

上記の目撃者は、誰も他の者の体験について知らなかった。目撃された飛行物体は同じ形状で、その搭乗者にしても当時流行していたハンサムで長髪のUFO搭乗者の記述とは一致していなかった。

エンリケ・ボッタ事件

1950年アルゼンチンで起こった事件。当時、建築技師であったエンリケ・ボッタ(Enrique Botta)は、高速道路を車で走行中に、そばの草地に円盤型で金属製の物体があることに気づいた。物体は静止していたため、ボッタは意を決し中に入ることにした。内部は(天井があることを除けば)空のように見え、壁際には4つの座席があった。座席には身長1.2mほどの灰色の小人が計器やパネルに向かって座っており、その身体は焼けただれていた。生物はすでに死んでいた。座席前の制御パネルの上には透明な球体が回転していた。

高速道路に戻ると、ボッタは大急ぎで友人2人を呼びに行った。既に日が暮れていたので、翌朝になり3人は「UFOの墜落現場」に戻った。既にそこに円盤はなく、代わりに灰の山があった。1人がそれを手ですくってみると、手は緑色に変色し何日もそのままだった。その直後、1人が上空を見上げると、葉巻型と円盤形の3つの飛行物体が浮かんでいた。ボッタは5枚の写真を撮影したが、現像した結果はぼんやりとした形が2枚写っていただけだった。

ボッタはこの事件の後に、高熱に見舞われ皮膚が膨れ上がった。医者に診せても原因不明と診断され、この症状は数週間続いた。ボッタはこの事件を公表しなかったが、後に彼の2人の友人が公表した。ボッタは博士号をもつ人物であり、地元での評判も良く、無視できない目撃者であった[26][27]

ラインホルト・シュミット事件

1957年11月5日に全米各地で数多くの未確認の飛行物体が目撃された。目撃された場所は多数であり各地の警察署の電話回線はパンク状態となり、報告を受けた米軍はジェット機の緊急発進を行った。メキシコ湾の航行中の警備隊やニューメキシコ州のミサイル試射場の憲兵隊員、テキサス州の米空軍気象観測官らも飛行物体を目撃した。特にカリフォルニア州の気象観測官3名と、そこからわずかに離れた上空を飛行していた空軍兵10名は「円盤型で磨き上げたアルミニウムのように輝く6機の飛行物体」をほぼ同時刻に目撃した。テキサス州の防空監視団は「赤い光を放つ巨大な飛行物体」からの通信を傍受することに成功したが、その内容は解読不能であった、と証言した。民間人からのいくつかの証言は「飛行物体が近づいた途端に自動車のエンジンやカーラジオが停止した」などの点では一致した。

同日、カリフォルニア州で穀物飼料問屋に勤めるラインホルト・シュミット(en:Reinhold O. Schmidt)という名の男性が、「金属でできた銀色の宇宙船」を目撃し、その内部から現れた「2人の男」と会話を交わしたと証言した。宇宙船内部には、地球人と似た6名の男女がおり、内部を見せてもらった後に宇宙船は垂直に飛び去ったと語った。シュミットは警察に届け出たが、正気ではないと判断され精神病院に送られた。シュミットはその後、自らの体験を自費出版した後に行方不明となった。宇宙船の着陸現場に出かけた警察署長は「確かに何らかの機械がここに着陸した」と判断した。シュミットが宇宙船を目撃した地域で、謎の飛行物体を目撃したという報告が複数人の目撃者により寄せられた。彼らはシュミット同様に、飛行物体が接近した際に車のエンジンが停止した、と語った。シュミットが宇宙船を目撃した翌日には、テネシー州に住む12歳の少年が宇宙船と宇宙人を目撃したと報告した。その描写はシュミットの描写とほぼ同様のものであり、少年がシュミットの事例を知っている可能性は皆無だった。フラップ(UFOの大量目撃)と第3種接近遭遇が同時に報告されたまれなケースである。

パプアニューギニアでの目撃事件

1959年6月26日、パプアニューギニアにて、空中に浮かんでいる円盤型のUFOを38名の人間が目撃した。円盤の中には4名の人影が何らかの作業をしている様子が見えた。目撃者の1人が搭乗者に向かい手をふると 搭乗者達も同じ動作をした。目撃者が両手を上げて振ると、乗員たちも両手を上げて振って応えた。UFOは45分もの間観測され、最後には空中に飛び去って消えた。その後しばらくの間、カトリック教会の上空などに断続的にUFOは出現した。最終的な目撃者は約150人に及んでいた。目撃者であるWilliam Booth Gill神父が目撃内容を詳細に文書に記し、他の目撃者25名がその文書に署名した。

迷信深い者たちによる目撃事件にすぎない、と批判する者も出たが、目撃者の中には高等教育を受けた者や、別国の宣教師や貿易商などが含まれていた。パプアニューギニアとは関係のないアメリカ空軍はなぜかこの事件について、土星や木星などの天体が光の屈折により目撃された自然現象であった、と発表した。だが目撃された乗務員についての言及はなかった。

なお、この事件が発生する6日前から「コーヒー皿のような飛行物体」や「窓のあるラグビーボール」の光体などが目撃されている。さらにこの事件の後2か月にわたって、同地域にてUFOが目撃され続けた[20][28][29]

ニューハンプシャー事件

1973年11月1日、米国ニューハンプシャー州マンチェスターでのルート114にて、車で帰宅中のリンダ・モレル夫人が、明るいオレンジ色に輝く六角形で構成された巨大な球体を目撃した。その物体は半分透けているような性質があり、上方には窓のようなものが見えた。モレル夫人は体中がヒリヒリする感じを受け、意識が薄れたが気が付くとUFOの近くまで進んでいた。物体の窓には人影があり、グレイ型の人相をしていた。搭乗者は彼女に「怖がらないように」何とか伝えようとしていると感じられた。女性はパニックになり車から抜け出し、近くの民家に助けを求めた。民家の住人が警察を呼び、警察官が駆けつけると、遠くに色を変えながら移動する光体が見えた。民家の住民を含めた合計4名がそれを目撃したが、嘲笑を恐れ、地元の新聞社には曖昧に報告した。モレル夫人は調査を受けたが、催眠状態での質問の受け答えでも彼女の話に矛盾点などは見られなかった。

そして11月3日になると同地域にて再びUFOが出現した。レックス・スノーと妻のテレサは、小型望遠鏡で銀色の円盤を目撃した。そして同日の真夜中に、レックスは自宅回りが異様に発光していることに気付き、外に出たところ「銀色のスーツ」を着た異形の人物2人を目撃した。レックスは飼い犬に「飛びかかれ」と命じたが、銀色の生物ににらまれると飼い犬は沈黙した。銀色の人物2人はしばらく地面から何かを拾い上げる作業を続けた後に木立の中に消えた。テレサは「銀色の輝き」が木立の中を遠ざかっていくのを目撃した[30]

甲府事件

1975年山梨県甲府市で起きた、UFOと宇宙人を目撃したと報道された事件。

虚舟UFO漂流事件

一部の古代宇宙飛行士説論者が江戸時代に起きたと主張する事件である。

未分類の事例

オーロラUFO墜落事件

1897年4月17日アメリカ合衆国テキサス州オーロラ英語版近郊に“飛行船”が墜落。住民たちが見に行くと未知の金属の破片や当時の地元新聞の表現によると“この世のものではない”("not of this world") 操縦士の遺体を発見し、火星人と考えた住民はキリスト教の儀式に則り葬儀埋葬し、墓を建てたという。その後1970年代に再注目されるまで70年以上この事件は忘れられていた。

ロズウェル事件

ケネス・アーノルド事件の直後に起きた、いわゆる「ロズウェル事件」は極めて有名であり、複数のフィクションにおいて何度も題材にされているほどである(『ロズウェル - 星の恋人たち』など)。これは、アメリカ南部ニューメキシコ州ロズウェル近郊に「UFOが墜落し、その残骸が軍によって回収され秘匿されている」というものである。

1947年6月14日、ニューメキシコ州ロズウェル近郊にある牧場で、マック・ブレーゼルは牧場内に散乱した金属片を発見した。7月に入ってブレーゼルと彼の家族は金属片を集め、保安官のジョージ・ウィルコックスに通報。ウィルコックスはロズウェル空軍基地に連絡した。7月7日の午後、基地からやってきた2人とブレーゼルは残りの破片を捜してゴムや金属箔を見つけたのち、元の形を復元しようとした(が、上手くはいかなかった)。翌朝、破片は基地へ持ち帰られた。

7月8日、ロズウェル基地付け報道官のウオルター・ハウト陸軍中尉が「陸軍航空隊がロズウェル近郊の牧場に墜落した空飛ぶ円盤(Flying Disc)を回収した」と発表し、マスコミの注目を浴びた。しかし同日中にロジャー・M・レーミー空軍准将が「発見された空飛ぶ円盤は軍が使用している気象観測用の気球だった」と訂正を行った。後に行われた発表では残骸も公表されて、事件はすぐに忘れ去られた。それから30年以上、UFO研究家も含めて誰も関心を持つことはなかった。

しかし1978年になって、破片回収を行った軍人ジェシー・マーセルに対してUFO研究家がインタビューを行った際、マーセルはこの事件を軍による隠蔽とする意見を表明した。この話題はUFO愛好家の間で関心を持たれるようになり、1980年にはタブロイド紙『ナショナル・エンクワイアラー (National Enquirer)』がマーセルへのインタビューを載せたことで、広く世間で知られるようになった。

「ロズウェル事件」が有名になると、既に30年以上経過していたにもかかわらず、軍の圧力があったとする証言や「政府の秘密文書」などが多数表れるようになった。「ロズウェル事件の際に回収した異星人の解剖フィルム」なるものまでが現れた。1997年には、アメリカ政府より正式報告書「ロズウェル・リポート」が改めて発行された。この報告書では「当時墜落したのは実は秘密実験に使用されていた気球で、後に発見された異星人の死体といわれるものは高度での人体への影響を調べるための観測用ダミーである」としている。また解剖映像が捏造ねつぞうであったことが後に判明した(宇宙人解剖フィルムの項目を参照)。

2007年、ロズウェル基地の元報道官ウォルター・ホート大尉が、ロズウェル事件について「隠蔽があった」ことや、基地の格納庫で「異星人の死体を直接見たこと」を記述する宣誓供述書に署名していたことが判明した[31]。研究者であるドナルド・シュミットによれば、これは最も強力な証拠であり、他にも異星人の死体や墜落した円盤を目撃した関係者の証言が多数得られているという。空軍により尋常ではないほどの家宅捜索や脅迫をされたため、隠蔽工作があったことを確信する証言者も多い。

トリンダージ島事件

1957年12月から翌年の1月にかけて、ブラジル海軍国際地球観測年に向けての観測基地を南大西洋に浮かぶマルティン・ヴァス諸島のトリンダージ島に設営する際に、数回にわたり観測隊員や島民が円盤型の飛行物体や光を目撃したとされる伝達情報。日本のUFO愛好家の間では昔からあった有名な話であり、たびたび出版されている。出版物などで同島を「トリニダーデ島」と呼ぶが、正しい名称は「トリンダージ島」(Trindade、ポルトガル語であり綴りが異なる)である。トリニダーデ島(Trinidad、元来はスペイン語)とはカリブ海にあるトリニダード・トバゴの島であるので、誤訳といえる。超常現象としてのUFOの話にはこのような誤訳が多い。

この話はブラジル国内ではほとんど知られていないが、他国では書籍の写真を通して有名である。同島はブラジル東南部のエスピリトサント州の沖にあり、本土から1200キロメートル以上離れている。居住島民はおらず、海軍の駐在所と科学研究員の宿泊施設がある。

1958年1月1日にブラジル海軍長官と観測隊員が同島周辺を飛行する光体を目撃したとされた。同月15日と16日には海軍練習船アウミランチ・サウダーニャ号(Almirante Saldanha )が観測船として同島に接近したときに円盤型の飛行物体が出現したとされる。ただし、この目撃例は地球観測年だけのもので翌年以降はない。また、「公認のUFO写真」という有名な写真が海外の雑誌に出版されたが、ブラジル海軍は遭遇を認めていないので「公認」の写真ではない。

写真に写っている物体は湿った大気中を飛んでヴェイパーに包まれた飛行機という意見もあり、ツインボナンザという機種が似ていると研究されたが、特定されてはいない。写真は4枚の連続写真であり、1枚目は飛行機の側面から、2枚目以降は正面からとられたものと推測されている。1枚目はぼんやりと土星型に写っているが、2枚目以降はもっとはっきりとした円盤型に写っている。それが水蒸気に包まれた双発のプロペラ機を正面から見た形に似ていると指摘する研究者もいる。しかし最近のデジタル化した写真の分析により、二重露出で物体を写したものという意見が説得力をもっている。[要出典]

写真を公表したのは海軍ではなく、同行したカメラマンであるアルミロ・バラウーナ(Barauna)であった。彼にはトリック写真を作る技術があり、この事件以前にも偽UFO写真を撮って「UFOに追いかけられた」というジョーク記事も書いたことがある。この件も面白そうな形に写った飛行機の写真を思わせぶりに見せただけだと考えられるが、結果として国外では大変有名になってしまった。ブラジル最大の新聞『オ・グローボポルトガル語版』は、バラウーナのいたずらと結論付けた。

メキシコ空軍UFO事件

2004年3月5日に、麻薬密輸の監視にあたっていたメキシコ空軍機が十数機のUFOに遭遇し、追尾されたとする事件。赤外線探知機の画像には、よく見れば静止した物体であることがわかる11個の点が映っていた。しかし、メキシコ空軍が公式に発表したために世界各国で報道された。その後、地元のUFOに肯定的な団体の調査により、UFOの隊形と煙突の配置が同じであること、画像の「UFO」は移動していないことから、海上油田の煙突のフレアスタックの誤認だと結論されている。メキシコ政府は公式発表についてその内容を変更してはいないが、そもそもの「発表」が、報告を受けた将官が知人のUFOマニアに見せた以上の調査もせずに行われたものだ[要出典]

アブダクション(第4種接近遭遇)

UFO現象の中には、「UFOに誘拐された」とする「アブダクション」の事例報告が存在する。体験者によると、UFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さなトランスミッター(発信機)を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為(男女双方に対する強制的、もしくは非強制的な)の対象となったという報告もある。宇宙人と好意的な関係を結んだとする「ポジティブなケース」も存在するが、多くの場合、体験者はトラウマを抱え込むことになる。

アブダクション時には体外離脱などの現象も起こるため、ある研究者は臨死体験との類似を指摘している(→#臨死体験説)。アブダクションにはある特定の傾向がある。「アブダクトされたという時間と場所に、確かにいるはずの人がいない」「帰ってきたときに、身体に異常な痕跡が残っている」「複数人が同時にアブダクトされ、お互いの体験を検証できる」といった特徴である。またアブダクションを報告するものはコンタクティー英語版と混同されることが多いが、ほとんどのアブダクション体験者は、その体験で金銭を得ようとはしない傾向がある。また多くの場合、自分の体験が異常なものであると感じるため、体験者は自分の存在を公にしたがらない傾向がある。アブダクションの対象となった人々は医師・弁護士・教授などの職業層から非熟練労働者まで広い範囲にわたっている。

アブダクション体験は証言のみで物的証拠が伴わない場合が多く、調査の結果フィクション、もしくは虚偽記憶、想像上の体験であることが判明したケースもある。物的証拠については、体内に埋め込まれた「トランスミッター」、もしくは物質を後からMRICTで発見し、手術によって取り出した、とする事例もある(それは小規模な脳梗塞などの画像だとする説もある[32])。

数多い報告の1つに「鼻の奥に球状のインプラントを埋め込まれた」という例がある。この場合、医師により鼻孔の奥が調査された結果、証言通りに謎の金属球が発見されたり、鼻孔に説明不可能な穴が開いている事が確かめられたケースもある。宇宙人の子供を授かったというケースでは、妊娠が確認された体験者の体内から、いつのまにか胎児が消えていたことを医師が発見したケースがあるという[33]。アブダクション後には癌が治癒していたと語る者もいる[34]。2013年のシチズンズ・ヒアリング・ディスクロージャー公聴会には、エイリアンにアブダクションされたと主張する人々の身体を調査を行った医師が参加し、全く傷痕のない患者の体内に異物が混入していたケースが存在したことなどを証言している。

虚偽記憶説・出生外傷説

これらのアブダクション現象については虚偽記憶(False Memory)で説明できるという考え方がある。アブダクション体験談の多くは「催眠状態の誘導により思い出されたもので、そこに虚偽記憶が介在する余地があるため、信頼性の高い情報とはいえない」という側面があるという理論である。

なお、研究者であるデイヴィッド・マイケル・ジェイコブズはこの虚偽記憶説を批判している。「アブダクション体験者は互いに面識がなく、UFOについての知識がないにも関わらず一般に知られていない詳細なアブダクション現象の共通点を同じように報告してくるため、それらが作り話や虚偽記憶であるという可能性は極めて低い」と述べている。

もし催眠下にある人間がアブダクション体験を捏造しようとした場合、その報告はバラバラで全く共通点がなくなるという実験結果も出ている(アルヴィン・ロースンの実験)[33]。またUFOとの遭遇を直接思い出した者と、催眠により思い出した者とが語る証言には、実質的な違いは何もないと結論した研究もある[35]。アブダクション体験者の中には、催眠を用いずに体験を思い出した例もあり、そうした体験者がウソ発見器をパスしたケースもある(1973年のパスカグーラ事件など)。

アブダクション現象は幼児期の性的虐待の記憶が多くの人間に虚偽記憶として蘇っているのではないかとする「出生外傷説」がある。スタニスラフ・グロフLSDを用いた研究では、出生外傷に基づくと思われる意識状態にて、第4種接近遭遇とよく似た現象を報告した者がいる。しかし、この説では「アブダクション体験者が催眠により虐待そのものの記憶を取り戻さないこと」や「多くのアブダクション体験者が子供の頃の虐待体験を否定していること」などの事実の説明がつかない[33]

ヒル夫妻のアブダクション事件

ベティ・ヒルとバーニー・ヒルの夫妻は、1961年9月19日から9月20日まで地球外生命体に誘拐されていたと主張した。催眠療法により両者が同じ記憶を思い起こしたことが話題となった。この事件はアブダクション事例の中でも最も有名なものとなり、さまざまな議論を呼んだ。

リンダ・ナポリターノ事件

1989年11月30日深夜、アメリカ東部ニューヨークマンハッタンにて、マンションの窓をすり抜けて女性が空中に浮き上がり、上空の UFO に吸い込まれるという事件が起きた。この光景を、第5代国際連合事務総長であるハビエル・ペレス・デ・クエヤルと彼を護衛する2人のボディガードが目撃していたとされる。アブダクションされた女性リンダ・ナポリターノは後に退行催眠などにより事件の記憶を思い出した。またデ・クエヤルはこの目撃談の存在を否定した[28]

後に研究者のバッド・ホプキンズ英語版がこの事件を調査している。ホプキンズが取材を行ったところ、国連事務総長であるデ・クエヤルは、アブダクションは事実であったと述べた上で「それを自ら公表することは混乱を招くのでできない」と発言した。また目撃者は他にも存在していた。郵便局員とジャーナリスト、電話交換手など複数の者が、リンダが空中に吸い込まれていく光景などを目撃していた[36][37]

アンドレアソン事件

1967年1月25日、ベティ・アンドレアソンは台所の扉を透過して入ってきた5人の小人たちに導かれて、小型のUFOに乗りこんだ。「出産テスト」をうけたあと、不思議なトンネルを通って、未知の世界へと旅をして、不死鳥の映像を見せられた。事件から10年後の1977年、UFO研究家の調査に応じて逆行催眠をかけられて、何に遭遇したのかを知った[20][38]。CUFOS (Center for UFO Studies) の所長ジョーゼフ・アレン・ハイネック博士は、アンドレアソンの事例によってUFO問題が「驚くほど複雑」になってきたことがわかると記している[39]。アンドレアソン事件は複雑であるため、拉致事件の記録のなかでも重要度においては最大級の出来事である[40]


注釈

  1. ^ : ufology

出典

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